胎土特定への第一歩 2012年6月17日
先日行われた高橋教室で高橋先生は胎土の採れる場所について次のように述べられました。特殊器台の胎土は器台出土地とはさほど離れていない場所で、しかも向木見を除き他は同じ胎土なので同一採土地かと。ということでさっそく先生が示唆された楯築遺跡の西北の矢部地区に小澤、岡、橋本、近重の4人で出掛けてみました。
上東式土器やその後の吉備型甕と呼ばれる当時最先端技術の土器がこのエリアで大量生産されるのですが、これら日用土器の胎土と、特殊器台のものはまったく違うということです。何故ちがうのか、容器でないことから水が漏れることは許されるかわりに巨大な土器に必要な耐性つまり焼いても割れないなどの性質が求められたのかもしれません。この高速高架の下あたりは弥生の遺跡で弥生土器の土取跡の穴が発見されたようなので、このあたりの様子を確かめながら歩いてみました。
次に特殊器台に使用された土を求めて倉敷市境の新しい道(隧道)の最高部に移動しました。しかしこのあたりは風化花崗岩ではあるものの岩が露出していてとても土器に利用できそうもないという橋本さんの意見にしたがい風化した土は低い所に流れ堆積していると期待して下へ下へと歩いているところ、前に見えているのが山陽道です。
山陽道の西測道を北に曲がると100mほどで池がありそこの手前にはやや人の手が入った窪地がありました。まあとりあえずと皆で下りてみると、橋本さんがおもむろに山裾のむきだしになった斜面に手を突っ込んだのです。ひとしきり土を掘り出しそれを手の中ですりつぶしながら一言「この土、なかなかよさそうですよ!」全員「おおっ!」という感じ。
今日は「吉備学会総会」の終了後から出発だったのでもう夕方になりつつあり、このサンプルを後日高橋先生にまずは見てもらおうということで解散といたしました。
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