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第一回 胎土採取 於 岡山市北区某所

2013年2月4日

地元町内会役員の方
地元町内会役員の方に事前の説明と了承を得る

2012年11月3日(土)会有志により胎土採取の調査及びサンプル採取を実施しました。柳瀬昭彦先生を先頭に本格的な発掘調査に準ずる方法でこまめに測量などをして図面をとりながらの作業です。柳瀬相談役に手配いただいた県吉備文化財センターよりお借りした道具類を駆使し、初めての発掘(もどき?)に挑戦です。

此の場所は高橋先生に示唆されたエリアをくまなく歩きたどり着いた、候補の土が表面に露出しているところです。

作業
土取作業中

偶然といえばそのとうりで、矢部遺跡などの土取跡などは地中をかなり掘ったところで発見されているわけですから、このように手掘りで採取できるというのは神の配剤としかいいようがありません。岡山市の監督部署に正式な申請を届けでて許可を得たところで、地元町内会の役員さんにも同席をお願いしこころよく見守っていただきました。此の場を借りてお世話になった皆様に御礼申し上げます。

参加者
左より、小松原、近重、近重、長田、小澤、橋本、柳瀬、前田 各氏

山の上から花崗岩の風化した粒子の細かいものが流される形で下へ下へと層を作って堆積しているようです。特にこの粘土層は上下幅15cm位でそれを挟むように上と下にやや粒子の粗い層があります。ところがこの粒子のこまいかいそして粘り気が十分ある真ん中の土だけでは特殊器台はできていないのです。なぜなら、小ぶりの生活土器であれば粘土(粒子細かく粘りがある)だけでよいのですが(これが矢部遺跡の土器土取跡の土だと思います)しかし、特殊器台のような巨大な土器の制作のためには粒子の粗さにばらつきが必要なようです。つまり、粒子の大きい小さい中くらいがうまく混ざることによって、中で粒子の移動がおこりにくく、整形と焼成のいづれの段階においても強度が増すのです。(by 高橋護先生)

 



以下、記録写真集

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Posted by 近重