第3回「吉備歴文会」 岡将男氏講演
岡 将男 氏 講演 2011 June 4
『古代吉備国の謎に挑む』”弥生最大の墓 楯築遺跡 そして 日本一の造山古墳”
いくつかの質問がありましたが、ここにすこしその返答をまとめておきます。まず、「狗奴国の位置」について、魏志倭人伝の中に邪馬台国の仇敵としてまた進行形の戦争の敵国として登場する「狗奴国」とは一体どこにあったのかというご質問。
倭人伝には邪馬台国よりもひとつ先の遠方と記されていますので、方角を南とする九州説では九州南部(熊本、鹿児島)周辺と考えます。また、東とする畿内説では名古屋周辺が有力であるとされています。しかし、岡さんが紹介した「広畠氏、若井氏」の両吉備説ではどちらも「狗奴国大和(奈良周辺)説」をとっています。この発想は盲点のようなもので、邪馬台国=大和朝廷というだれもがそうあってほしいという概念を根底から覆すもので大変貴重な問題を含んでいます。なぜなら、人はみな「こうあってほしい!」という感情が客観的理性を押し流してしまう傾向があるからです。歴史を学ぶ上で、この点には特に留意していきたいものです。
つぎに「どうなれば、吉備説が決定的だといえるのか?」ということでしたが、親魏倭王の金印そのものが出土出現すれば決着でしょうか!?それとてなんともいえません。「捨てた!とか 奪った!とか」いえますし。でも、以下の問題が進展すれば焦点は定まってきます。
- 1、陵墓の研究が解禁される
- 2、記紀以外の有力な史書が発見される
- 3、考古、文献史、民俗、神社伝承などの国際的専門家プロジェクトチームでの研究
とまあ、大変難しそうなのですが私としては「弥生後期(卑弥呼時代)に米、塩の生産量の最大生産地」であることが女王の都にふさわしい場所だと思います。つまり中世〜現代のように都市部と農村のような概念がない小国分立からじょじょに連合していった時代ですから、生産力=国力だと思います。また、鉄については「男王では治まらず」ですから、武力の決定的優位性には乏しく、押し気味の狗奴国のほうが優位だったのではないでしょうか?
岡氏の講演映像のダイジェスト版です。ご覧になるにはコントローラーの左(三角)ボタンを押してください。
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会場 Hiro Chikashige Gallery