中蒜山 は雨だった 

中蒜山 は今回もきびしい 06-Sep.19 Tue.

中蒜山 頂上

昨日の昼過ぎには台風13号も行き過ぎ、岡山近辺は晴れとなった。
今日は台風一過で大晴天のはずなのだが?しかし、蒜山高原に入ってから空模様があやしくなってきた。さらに塩釜の冷泉のロッジにつく頃には本降りとなってきたのだった。なんたること!

思い起こせば1年前、初めての登山にこの地を選び訪ねたが、ここの親父さんに「そんな格好じゃだめ!」といわれて止む無く三平山に登ったのだった。今日こそはとやってきたが今度は雨、しかし1年間の修行は伊達じゃない。雨対策もしてるのじゃ?。(bought it 100yenshop!!)

五合目に到着、出発から1時間が経過した。ここ五合目に「 日留神社 」又は「蒜神社」で、ひるが神社と呼ばれるちいさな祠がある。避難所「ひるが」とは「日留女」であり巫女さんのこと、そして「大日留女」が天照大神である。つまり蒜山とは信仰の山そのものということだろう。高天原伝説の残る蒜山高原としてはごく自然なネーミングである。さあ、頂上に向けてひとがんばりだ、バナナを二人でぱくつきイザ出発。

2時間かけて頂上に到着したが、雨は相変わらずシトシト降っている。残念だがレンズが雨に濡れて写真はあまり撮れないが頂上到着の記念撮影だけすませて、そそくさと頂上より100m手前の避難所にまさしく避難した。この写真は濡れた衣類やらなんやらを乾かしている図。ここで食事をすませ、40分休憩とした。下りは最近とみに慎重になってきており濡れた斜面を恐る恐るすすんでいった。2時間10分がかかり、登りより13分長くなった。

避難所風景

尾道 朱華園

尾道ラーメンとは 朱華園 のこと 06-Sep.12 Tue.

朱華園 の入り口

秋雨前線のわずかな晴れ間を縫って岡山から尾道へとむかった。尾道バイパスを東尾道でおり市内へとはいり中国銀行の交差点を左折、火曜の12時だが30人ほどの行列がみえてきた。専用駐車場は2台だが運良く入れ違いで入れた。私たちの後ろに若いカップルが並んだ、話を聴くとなんと群馬から旅行できたという。「尾道ラーメンとは 朱華園 のこと」とテレビで仕入れたうんちくを披露すると「よかった?!」とえらく喜ばれた。広島ー尾道ー倉敷ー讃岐ー鳥取という予定だそうだ。『ワカイッテ、スバラシイ?? by
槙みちる』

朱華園ラーメン

「尾道ラーメン」とは阿藻珍味がつけた商品名だ。尾道人にとってのふるさとの中華そばである「朱華園のそば」を商品化しようとしたのが発端で、ご当地ラーメンのはしりといえる。街中には「尾道ラーメン」という看板の店をよくみかけるがもちろんここにはそんな看板はない。味はご承知の通り、背油と麺が特徴-こぶりではあるがぼくらには適量でお値段は490円ときわめてリーズナブル。朱華園 焼きそば

しかし、出色はこの「焼そば」だと夫婦の意見がそろっている。ボリュウム満点、キャベツたっぷり、豚肉甘とろ、そば繊細。ここのご主人(らしき人)がメインのガス台で鍋を振っているが、焼そばはその仕事だ。(やまとでいうと昔のおじちゃん担当のやきめしとおなじ)このての『うまいもん』は現地で喰わにゃあ、話にならん!

焼きそば710円

楯築遺跡 と邪馬台国

楯築遺跡 は卑弥呼の墓か?

楯築遺跡

楯築遺跡は倉敷市矢部西山庄団地の片岡山と呼ばれる小高い丘の上にある弥生時代後期(3世紀)の全国最大の巨大な墳丘墓である。
双方中円墳で全長78m、円丘部は直径40m、高さ4?5m。突出部は東北(丑寅)10m、南西(未申)22mであったが、造成工事と給水塔建設工事で切断されてしまい、東北への突出部の一部だけが復元されている。 円丘部の上には5つの巨石が円環状に立てられており、人々を圧倒する。温羅伝説によると、吉備津彦が温羅と戦う時、ここに陣を構えて、矢を防ぐために築いた石の楯であるとされており、楯築の名の由来となっている。(参照HP 古代吉備王国の栄光と衰亡 金谷信之氏制作)

楯築遺跡

このストーンサークルは何物なのだろうか?弥生墳丘墓としては日本最大で、棺の中からは30キロあまりの水銀朱がでている。薬師寺慎一先生によれば、被葬者の歯が比較的小さく女性である可能性があるようで、その年代から卑弥呼のものではと示唆されている。またこのてっぺんから吉備特殊器台が発見されるが、これはのちに箸墓古墳などの大和近畿において発見され、吉備と大和の関係に多くの疑問を思いおこさせる。

楯築遺跡頂上 神社跡

新見美しい森 より剣山へ

新見美しい森 より剣山へ 06-Aug. 29

今日は1年に一度の三社参りで朝の6時に家を出発した。道通宮、最上稲荷、木野山さんの三社をお参りするというのは商売繁盛を願って行うのだが、道通さんが蛇、最上さんが狐、木野山さんが犬、というように動物を神として祀る神社なのが特徴だ。なかで最上さんは神社とお寺の混合という日本でもめずらしい形で残っている。(詳しくは又にするが当時最高裁まで争ったといわれている)

新見美しい森 剣山

高梁を出てから新見を過ぎ千屋に入ると剣山の美しい姿が見えてくる。きっと阿哲富士といわれているにちがいない。千屋温泉の2kmてまえを右折して山道をはいると、11時に新見美しい森(各町村で運営管理するアウトドア系公園)に到着した。管理人の方としばらくお話をしたが、マムシに注意と熊に遭遇したときの対処をレクチャーされた。最近、熊が出たそうだ。登り始めると道が草に覆われているとこが多く目を凝らしながら登ってゆく。マムシ注意の看板があちこちに立っていてしかもマムシのイラストがやけに不気味なのだ。

25分ほどで頂上手前の休憩所に到着した。頂上は目の前(100m)だがここで一休み。ほとんどが階段でしかもなかなか急でそこそこきつかったのが正直なところだ。今日は少し気温も低く街でも気持ちいいと思ったがここはさらに風が気持ちよい。体感で24、25度という感じである。

頂上は開けていて360度の景観がすばらしい。今日はあいにく霞んで大山はみえなかった。けれどもお弁当をおいしくいただいた。

食事の後、山を降りる。20分程度で美しい森ビジターセンターにもどった。気持ちいい山だったが少しものたりなさは否めない。何十年か前に家内がいったという井倉洞にいくことにした。新見まで戻りさらに10kmばかり高梁方面にゆくとりっぱな観光地然とした井倉洞に到着した。

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洞内の行程徒歩約30分、入り口から入る(あたりまえだが)と涼しい、15度位かな。岡山育ちの私は実は初めてなのであった。 狭いみちを登ってゆくと、 つぎつぎみせばというか見所があらわれる。ひとつひとつ解説に目をやりながらゆっくり進む。あんなに涼しかったのにもう汗ばんできた。これなら半袖でもだいじょうぶ。

井倉洞内部

宮座山 古代祭祀遺跡

新庄村 宮座山 は吉備津神社の元社か?

宮座山

宮座山 は岡山県最北の新庄村にあるありふれた山のように見える、標高差にしても200mほどだろうか、がなかなかの存在なのだ。新庄の役場から蒜山に抜ける道(野土路方面)を1.5Km、右に御鴨神社が見えてくるその手前を右折し沢に沿って整備された道路を約2Kmゆくと道路右に看板が見える。手前にあった御鴨神社はこの宮座山の頂上におわす磐座を奥の宮とする辺津宮である。御鴨神社に関する資料によればどれも「神代からの」とか「古代より」とかの表現ではじまる。つまりこの山は古代神道またはそれ以前からの古代祭祀遺跡なのだ。

宮座山,帆立岩

新庄という位置からして言うまでもなく出雲との関係が思い浮かぶ。ましてやここは出雲街道だ。池田弥三郎先生の対談論に吉備の中山=吉備津神社と美作一宮中山神社の関係に関する話がある。池田先生によれば「美作中山神社は吉備津神社の元社ではないか。さらにいえば出雲街道を下って国境あたりにその源泉があるのでは」と暗にこの宮座山の存在の大きさを示唆している。

右の写真は中腹に観られる「帆立岩」と呼ばれる奇岩であるが、その大きさと異様な形に気押されるような感覚に陥る。これを右にみながら左に道をとり登ってゆく。この辺りから次第に急になってゆくがしばらく登ると「辺津磐座」「中津磐座」と続きついに「奥津磐座」である柱状節理の下に到着する。しかし頂上には登れない(身軽でないとちょっと危険です)

「帆立岩」

富士登山

『富士須走口より 富士登山 』 06-Aug.15

富士登山 富士浅間神社

8月15日は富士登山の交通規制もおわり朝4時に三島の実家を出発。三島市内から御殿場へと走った。もうUターンラッシュを避けようと多くの車が走っている。意外と時間もかかり夜も白々と明けてきた。コンビニで食料を調達して須走に向かう。富士浅間神社【祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)】に早速お参りをした。大己貴命とは大国主命の別名だが、昨日訪ねた三嶋大社も大己貴命(大国主命)を祭神としており吉備周辺との深い繋がりが感じさせる。

『富士浅間神社に参拝ののち須走口へ』

富士須走口

富士浅間神社から十数キロ富士に向かって走ると標高2000mの須走口新5合目に到着する。駐車場はすでに満車らしく前日に登ったと思われる車が道路脇に多数停まっていた。すでに6時になろうとしていた。売店や休憩所のスタッフがにぎやかに声をかけてくる。我々はこんなにぎやかな登山は経験がなかったのでそそくさとその前を通り過ぎ脇のベンチに陣取り朝食をとった。いよいよ出発、ゆるやかな登りの林を進んでいった。

『須走新六合目にて』

新六合目長田山荘

登山口から1時間半ほどかかっただろうか、新六合目の山小屋長田山荘に着いた。ここは標高2400mで富士宮口の新5合目と同じらしい。15分ほど休んで再び登りはじめる。だんだんと草木がなくなって岩場砂場とかわってゆく。ふと左手を見ると下山道(登りと下りの道が別々にある)を多くの人が駆け降りてゆく。大袈裟でなく走っている人がいる。これが砂走りか!御殿場口ルートの大砂走りが有名だがここはその6割くらいの距離のようだ。同じようなペースで登る人たちと少し会話をしながら歩を進める。7合目、新7合目とすぎ写真をとる余裕がなくなってきた。

本八合目

本八合目に到着だが、雨が激しくふりだした。台風10号の影響のようだ!本格的な雨用装備のないわれわれは疲れも手伝ってここで断念。時刻は11時30分、すでに5時間半が経過していた。

雨の中を下りはじめるが、そこはもう砂走りである。溶岩が多くの登山者によって踏み砕かれてきたのだろう。その色はチャコールで石というには細かく、砂と呼ぶには粗い。家内はその体重の軽さのせいだろうか、とんとんと駆けるようにおりてゆく。わたしはみるみる置いてゆかれた。わたしの足は一歩ごとに深くその溶岩砂のなかに埋まり滑ってゆく。すこし急いだだけで転倒しそうでゆっくりとしか歩けない。

『砂走りを背に一休憩』

富士砂走り

すこし要領を得た。つま先を立てて砂に足をいれてゆく、すると適度な距離(30?40cm)で体が止まる。スピードもある程度でてしばらく先でまっていた家内においついた。この行程が1時間半つづいた。両足にかかる負担は私の限界をすでに超えていた。

富士須走登山口

 同じようにくたびれはてていた男3人がいた。その一人が携帯で誰かと話ながら他の二人に伝えた『「登りより下りのほうがきついからがんばって」だって』「それを先にいえっつーの!」おもわず心のなかで吹き出した。

やっとの思いで登山口にたどりついた。しばらく待つと迎えに息子とおばあちゃんが来てくれた。送り迎えともにありがとう。いい思い出になった。そして次回は是非とも頂上をめざす。

『須走口新五合目登山口にて』

神宮寺 (若狭) お水送り

神宮寺の お水送り

お水送り 神宮寺本堂

原発銀座に泊まった。ここ若狭湾に沿った町はほとんど関電の企業城下町だ。そのひとつの高浜に民宿をとっておいしい魚をいただいた。翌日、宿のご主人に尋ねたところ一ノ宮神社はよくわからないがなんといっても有名なのが神宮寺でそのそばに一ノ宮もあるらしい。感をつけてその方向に走りはじめた。そしてしばらくして発見した。若狭国一宮は若狭彦神社だが、実際に現地にて確認すると二宮の若狭姫神社と神宮寺の三社が順番に並んでいるのがよくわかる。
そこで偶然居合わせた、神宮寺の住職に訪ねたところ「神宮寺が元々の奥の宮である」とのことであった。
奈良東大寺二月堂の「お水取り」とはここ神宮寺にておこなわれる「お水送り」を受け取る儀式なのだ。

神宮寺本堂

神郷 三国山

神郷 三国山 はみくにせんと読みます。

三国山 shingo_mikuni_5

神郷町というところは岡山県のなかでもっとも距離感を感じる処だと思う。つまり一番遠い!新見を過ぎてすこし迷いながらも案内本をたよりに進んだ。三室川ダムを左に見てしばらくいくと集落にはいり目標のバス停を発見。林道に入ってしばらくで駐車スペースをみつけて停まり歩きはじめる。15分ほどで登山口にたどりついたがおよそ3時間ほどかかったかな。三国山はみくにせんと読む、地元のひとに道を訪ねて聴いたのでそう皆に呼ばれていることは間違いない。三国とはもちろん頂上から見渡せるというか接している「備中、備後、伯耆」の三国のことだ。


三国山 登山口

1時間ほどで頂上に着いた。この頂上はさほど開けてはいないが景色を楽しむには十分。途中のコンビニで調達した昼食をとり下山した。登山口の石標にて写真をとる。これはスタンドではなく合成ですのであしからず。車まで林道を歩いていると地元の方と出会いすこしお話をし、その年配の夫婦が採りにきていた「滝みずな」を頂戴した。帰宅して教わったように調理して食すと十分な量でおかずとなり、山の香りを楽しめた。

神郷三国山 登山口にて

岡山県立博物館 吉備 特殊器台

これが 吉備 特殊器台 だ!

吉備 邪馬台国説の最初にまずこの 吉備 特殊器台 (画像を見る場合はClick)を紹介しようと岡山県立博物館にいってまいりました

でかい!

特殊器台に観られる弧帯紋という独特の文様は、吉備国際大学の臼井洋輔教授によれば台湾などの南方の土器に同様のものがみられるとのことだ!海人族の文化ということだろうか。そしてこの弧帯紋は楯築遺跡の御神体亀石にもくっきりと残されている

この吉備特殊器台は弥生時代の墳丘のうえから発見され、葬祭における祭祀のための道具である。その発生から発展において吉備独特のものなのだそうだが、総社の宮山古墳のうえから発見されたのを最後に姿を消し、奈良桜井の箸墓古墳などに忽然と現れるのだ。この箸墓古墳から北に5kmほどのところにある石上神宮も同様で備前一宮の石上布都之魂神社から御神体の十拳剣が移されている。

特殊器台 isojingu_8

これらの事柄は当時の吉備と大和の間に劇的なできごとがあったことを如実に表している。はたして邪馬台国は吉備にあったのか?過去の論争において一度も(たぶん)顔をみせなかったこの説を追って、気になる神社や遺跡などを調べていきたいと思う。

Copyright 岡山県立博物館

泉山( 奥津 )06年7月4日

奥津 大神宮原コースはなかなかきついのです!まいった

奥津 泉山

53号線から院庄へ入りそのまま奥津温泉へ向かう。温泉から奥津カントリーに向かいゴルフ場をすぎてしばらくすると右側に登山口の標識がある。
登山道はすこし荒れている感じ。特に台風のために倒木が多く、しかも急登が続く。中央峰の手前はロープをたよりに登るとやっと到着した。

2時間ちかくかかってしまった。

食事をすませて、泉山頂上に向かう。ここはたいした高低差はなくなんということはない。しばらく景色を楽しんだ後、笠菅峠へ向けて下山を開始した。この道はよく整備されていてあっという間に登山口についた。ここから大神宮原コース登山口まで4kmほどあるだろうかこの舗装道路のほうがきつかったりして?!

頂上到着(中央峰)