出石町から加悦町へ「天の日矛」を訪ねる 1

但馬丹波の古代を訪ねる 2010年4月8日

今、私の注目は「天の日矛」に集中している。この人物(神?)はご多分にもれず謎だらけなのだが、いろいろな方のご意見を集約していくとどうも古代吉備の代表選手ともいえる「吉備津彦」と同一であるということらしい。そんなことってあるだろうか?もしこの謎のキーが解ければ断然話しがおもしろくなるに違いない。出石神社そんな訳で「天の日矛」ゆかりの地を訪ねてみることにした。

最初の目的地は但馬国一之宮の「出石神社」、御祭神は、天日槍命(あめのひぼこのみこと)、出石八前大神(いずしやまえのおおかみ)である。日本書記には、「(新羅の王子である)『天日槍』は垂仁天皇の御代に日本に聖王がいると聞いて播磨国に来朝し、『八種の神宝』を奉じたので、天皇から好きなところに住むことを許された。そこで宇治川を遡って近江国に入り、その後若狭国を巡り、但馬国に至り『出石』に居所を決めた」と記されている

また『古事記』には、以下のように伝えている。「昔、新羅のアグヌマ(阿具奴摩、阿具沼)という沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。すると女はたちまち娠んで、赤い玉を産んだ。その様子を見ていた男は乞い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。ある日、男が牛で食べ物を山に運んでいる途中、アメノヒボコと出会った。ヒボコは、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。出石神社男が釈明をしてもヒボコは許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出して、ようやく許してもらえた。ヒボコがその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になった。ヒボコは娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。しかし、ある日奢り高ぶったヒボコが妻を罵ったので、親の国に帰ると言って小舟に乗って難波の津の比売碁曾神社に逃げた。ヒボコは反省して、妻を追って日本へ来た。この妻の名は阿加流比売神(アカルヒメ)である。しかし、難波の海峡を支配する神が遮って妻の元へ行くことができなかったので、但馬国に上陸し、そこで現地の娘・前津見と結婚したとしている。」

兵庫県出石町は城下町の風情を残す観光地で特に小さな皿にいくつも出てくる出石そばで有名だ。その地区から2kmほど北に神社はある。伝承ではこの地の豪族の娘を娶り出石の開発にも貢献したということでヒボコの本拠地である。

また朝鮮半島の意富加羅国の王子で10代崇神朝に渡来したと伝わる都怒我阿羅斯等(つぬがあらひと)も日矛と同一人物とされ、現在の敦賀を治め五十狹沙別大神として「気比神宮」に祀られている。

気比神社

写真の鳥居は城ノ崎温泉近くの円山川そばのその名も気比という集落にある気比神社(参照HP 玄松子の記憶)で神功皇后の伝承が残っているとともにすぐ近くに銅鐸出土地が存在する。

このように「アメノヒボコ」と同一人物で違う名前がもう二つもでてきたが、これが古代史のややこしいところだと思う。本当に同じなのか?その一族なのか?それとも違うのかとても悩ましい。特に「五十狹沙別大神」(いささわけ)が問題、吉備津彦が「五十狭芹彦」だからすごく似ている。もちろんこのくらいで同じ人などとはとてもいえないが、どうやらヒボコの吉備出雲への進攻が四道将軍として吉備を平定する吉備津彦と重なることがひとつのポイントなのだろう。ぼくがとくに注目しているのはその出生伝承で、吉備津彦
こと「桃太郎」が桃から生まれたということは周知だが、ヒボコの故国の新羅は卵生神話の本拠地であり彼が追いかけてきた阿加流比売神(アカルヒメ)もまた卵から生まれている。

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