楯築遺跡は古代祭祀の大舞台 06-Dec.23
【冬至(とうじ:the winter solstice)】二十四節気の一つで、グレゴリオ暦では大体12月22日頃になる。
冬至は気象学的には、太陽が冬至点に達する時をさします。(太陽の黄経が270°になる)太陽の南中高度が最も低く、ちょうどオリオン座の帯のあたりで赤南23度半になり、太陽はまさに銀河の帯を南側で通過するところであり、銀河中心の方向に光を放つことになります。昼が最も短くなるため、古代においては冬至を1年の始まりとしており、現在でも冬至は暦の基準となっています。
古代においては、冬至の前後になると太陽の力が弱まり、人間の魂も一時的に仮死する。すなわち、陰極まれば万物みな衰えて死に、太陽の帰り来る「一陽来復」によって再びよみがえると考えられ、日本ばかりでなく緯度の高い西欧でも古くから「冬至祭」が行われてきました。(Diviner HPより)
12月23日は祝日なので道が混まないと読んだとおり、6時に出発して6時40分には遺跡下の団地に到着した。薬師寺慎一先生によればこの楯築のストーンサークルで冬至の夜明けに吉備の女王による祈りが捧げられた訳である。まだ暗い坂道を登りきると吉備の中山の向こうがうっすらと赤みがさしてきている。幸いにも今日は晴天のようだ。
だんだん明るくなると意外なことに気が付いた。てっきり吉備の中山から朝日が昇ると思っていたが、かなり南にずれている。サークルの中心にある岩の向きも同じ方角を向いている。そしてその方向には雑木林が鬱蒼とはえており本来のご来光は拝めそうにない。
いよいよ日が昇り始めた、7時を幾分すぎている。少し場所をずらして写真を撮る、そしてその方角には何があるのか、およそ30度は南にずれている、頭のなかで地図を開いてみる「もしや、高島の宮では?」
調べてみると、岡山での冬至の日の出角度は東より28度、さらにそこは児島半島であるので300m程度の山ということは29度ほどにずれる。それを地図にあわせてみるとなんと「貝殻山」あたりであった。(高地性集落「貝殻山」)児島半島「貝殻山」とは貝塚の発見からそう名付けられており弥生集落の遺跡のにおいのプンプンする山だ。これはますますおもしろくなってきた。
楯築遺跡 ストーンサークル