本宮高倉山の本宮の本意とは?

本宮高倉山 06-Des.23
本宮高倉山登山口付近

高倉山は岡山市牟佐から山陽町にかけてそびえる標高458mの山である。今日は牟佐側の登山口から歩き始めた。けさ「楯築遺跡の夜明け」を拝んだばかりのその日の登山であるが、じつはこの「高倉山」は「楯築遺跡」と変わらぬ貴重な神奈備山(「かんなびやま」古くは「かむなびやま」神の鎮座する山の意)だと思っている。まず、その麓には吉備第3位の大古墳「両宮山古墳」が鎮座している。がしかし有力な古墳があるから重要な地になったのではなく、その逆なのだと考えるのが自然で重要かつ神聖な地であるからこそ当時の大王がその傍らに葬られたはずである。

この山が大変重要な地であると考える根拠とは、つぎの偶然の発見からだ。高倉神社その発見とは僕が神社巡りを始めるきっかけとなった石上布都御魂神社その山頂にある奥宮とこの高倉山山頂、我が家の氏神様でもある円山山頂(石高神社奥宮)の三カ所の関係にある。そこにはそれぞれ立派な磐座が在り、なんとそれが南北の一直線上に存在するということなのだ。さらに、その社名が「上布都御魂」「倉」「石高」という符号の一致もとても偶然とは思えない。池田藩の菩提寺である曹源寺が円山に建立されたのも磐座信仰によるものであり、その池田藩は石上布都御魂神社を備前一宮として再興し援助をしている。本題でもある本宮という表現だが石高神社由緒にある高倉山(円山)とは本来この山を指し、ゆえに本宮という冠がついているのではないだろうか。

この話のつづきは後段に譲ることとして閑話休題、40分ほどで中腹の高倉神社に到着して境内でLunchを頂いた。境内裏から登山道にぬけ林道五叉路に出会う、近道とおぼしき道をとり昇るが結果としてはさほど近道ではないというのが結論だ。高倉山頂上車道に飛び出ししばらく歩くと高倉山頂上に到着、壊れかけの藤棚の先に磐座がひろがる。恐れ多いことにそこはパラグライダーの離陸エリアとなっているが岡山市内が一望できることからも交通の要衝であることがわかる。この磐座群を背に記念撮影したが、見てお判りのとおり庭石としての清美感を漂よわせ、重森三玲の庭を想い起こさせる。じつは、公園化した時に黒い大きな磐座があったのだが重機で移動したのである。やはり、吉備を代表するSpilitual Point だというのに、残念!現に『黒い、、、』といわれる磐座らしきものも見当たらない。

高倉山頂上 磐座

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