5月例会バス旅行「謎の古代丹波国を訪ねる 元伊勢籠神社」報告
5月例会として企画された丹波籠神社にいってまいりました。
海部宮司の映像は以下にご用意しておりますのでご覧ください。今回の映像は吉備歴文会メンバーのみ閲覧可能という設定にさせていただきます。あしからずご了承ください。
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海部宮司の映像
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さて、今回の海部宮司のお話を伺っての感想を少しまとめてみたいと思います。海部家は天の火明命を祖とする家系でありそれは物部氏の系譜であるということです。火明命と饒速日命が同一であることは映像のなかでもお認めでしたが一歩すすめて大物主と饒速日が同一かという疑問にたいしては「そうかもしれないしそうでないかも?」とことばを濁されました。また新羅4代王昔脱解の丹波出自説についても同様で、まもなく出版される伴としこ氏の新刊に注目してくださいとのことでした。宮司の発言でもっとも注目したいのは家系に口承で伝えられるお話なわけですが、初対面の我々にはいっさい漏らしてはいただけなかったという印象です。それ以外のお話で考古学の知識に係わる部分はたぶんどなたかから得たお話という感じですので慎重に聴かなければと思いました。特に最初に語られた吉備名方浜否定説の部分は最初はショッキングでしたが、その理由を伺うと奈良から伊勢までの経路としては吉備だけが方向違いである点と、古代(紀元200前後?)の行幸は大行列(200人以上)であるから吉備は遠過ぎるというものでした。残念ながらどちらも否定論の根拠としては説得力の欠けるものです。また古墳の数が吉備より丹波が1.5倍ほど多いとのご認識でしたが、実際はその逆であったり、古墳そのものも首長墓と後期のそうでないものを考えれば数の比較も単に土木工事力(経済力)のある一面を示すにとどまるものと考えます。また「日ユ同祖論」に関しては肯定的なお考えとの印象で、これが口伝に根拠が求められるのか否が大きな問題です。また吉備との関係については黒媛伝説に登場する海部直が間違いなく丹波の海部氏と深い関係にあるとのご認識で私も同感です。ただ祖神である天火明命が丹波出身かのように錯覚しがちですが、そうであったとするには根拠は希薄であらゆる可能性が否定できないのが現状かと思います。
いずれにしても、平安初期に公文書としてこの系図が認められているということと伝世鏡の存在から、2000年近く繫がれてきた家系でありこの口伝も存在そのものも大変貴重で歴史の鍵のひとつを握っておられるという印象を確認することはできました。