三ツ城古墳 広島最大の古墳
さて、しばらくお休みしていてすみません。ぼつぼつとUPしていきますのでよろしくお願いします。
今回は広島最大の古墳「三ツ城古墳」の巻である。岡山を出発してまずは尾道に寄り道、いつものように「朱華園」に立ち寄ったのだが、お気に入りの「焼きそば」がもう売り切れだった。しかたなくいつもの「尾道ラーメンwith背脂」をいただき港町を後にして、一路2号線を西に走った。昔からだが三原を過ぎると道がよくなり高速と遜色なく快適に走れる(もちろん高速のような速度という意味ではない)。信号でとまるようなこともあまりなく、しばらくゆくと本日お目当ての西条付近に到着する。といっても、この辺りは西条バイパスといってさらによい道なので、今回どこで降りればよいかわからず、ずいぶん迷ってしまった。もし行かれるなら「三ツ城小学校」を目指すとよい、校門の真ん前が古墳公園である。
全長約92m,前方部を北に向けた前方後円墳で、背後に径25mの円墳1基(第2号古墳)、第2号古墳の周構内に第3号古墳がある。
写真のとおり第1号古墳は葺石(ふきいし)で覆われ、円筒埴輪のレプリカを巡らし往古を再現している。後円部には槨(かく)を有する埋葬施設があり,鏡,鉄器(刀・剣・鏃(ぞく)など)銅釧(どうくしろ)櫛、玉類(勾玉・管玉・棗玉(なつめだま)など)が出土したという。埴輪には円筒のほか家形・短甲・鶏などがあり、造出しから土師器、須恵器類が出土した。古墳時代中期(5世紀)に築かれた古墳と考えられ、安芸国最大の規模であるとともに、岡山市の造山古墳と相似形ともいわれ、吉備と同系統の中国色の強い安芸国の首長のものと思われる。このように再現性を重視した古墳は専門家にはきっと異論もあるのだろうが、僕らシロオトには大変ありがたいもので、明石の五色塚や先日丹後の高速道路から見えた私市円山古墳なども再現型の文化財公園だが、その威容は感動的でもある。そして岡山でもできたらよいのにと強く思う。なぜなら、このように莫大な量の円筒埴輪が総て「吉備から始まった」という事実をほとんどの岡山市民は知らないにちがいないからだ。