唐子鍵 遺跡を地元の人は?

大和 當麻寺 と 唐子鍵 遺跡を訪ねる 08 Nov.25

当麻寺奥の院

雨のなか奈良葛城の當麻寺を訪ねた。宗派は高野山真言宗と浄土宗の並立となっているが當麻寺の奥院(おくのいん)は京都知恩院(ちおんいん)の奥院として當麻寺の境内に建立された経緯から法然上人を祀っている。そして法然といえばその出身は吉備国(現在の美咲町誕生寺)である。以前の記事を読んでいただければご理解いただけると思うが吉備と大和の関係の謎に迫る現場にやっと来たーーという感じである。庭が大変きれいに整備され背景に二上山を借景とした、いかにも浄土をイメージさせる。倭文神社門前のお蕎麦屋で昼食をとった後、私が対であると考える葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)に向かった。(右写真)見てのとおり決して大きくないが二上山麓に鎮座する静かなたたずまいの神社だ。當麻寺に対するこの葛木倭文座天羽雷命神社の位置関係はほぼ北の約1.5kmにある。そして吉備二上山の両山寺の北約3kmに吉備(美作)の倭文神社がある。

さて、つづいて桜井方面へ向かうことにする目的地は唐子鍵遺跡だ。今日は休日のせいか道がすごく混んでいる、道をあちこち探すうちにやっと橿原付近に到着し道を尋ねる目的で給油所にはいった。「唐子鍵遺跡」をたずねると誰もわからないという。奈良県の人でも基本的に興味は薄いようだ。田原本町にあるということをたよりに向かうとその直前に「唐子鍵考古学ミュウジアム」というのを見つけたので、道を右にはいるとそこは「本日休館」であった、「えっ?休日なのに?」残念なことである。唐子鍵楼閣やっと遺跡に到着したが、そこは写真で有名な楼閣(復元)が唐子池の渕に立っているだけといっていいほどの閑散としたところだった。唐古・鍵遺跡(からこ・かぎ・いせき)は標高約48メートル前後の沖積地、田原本町大字唐古及び大字鍵に立地する弥生時代の環濠集落遺跡である。遺跡面積は約30万平方メートル。規模の大きさのみならず、大型建物の跡地や青銅器鋳造炉など工房の跡地が発見され、話題となった。平成11年(1999年)に国の史跡に指定され、ここから出土した土器に描かれていた多層式の楼閣が遺跡内に復元されている。全国からヒスイや土器などが集まる一方、銅鐸の主要な製造地でもあったと見られ、弥生時代の日本列島内でも重要な勢力の拠点があった集落ではないかと見られている。

しかし不思議なことにこの巨大環濠集落は古墳時代に入ると消滅してしまう。そしてすれ違うようにすぐそばに巻向遺跡が突然出現するのだ。この謎が解ければ落ち着くよね?!

唐子池の楼閣

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