高島 宮は貝殻山頂上の直下にあるのです! 07-Mar.6
我が家から産業道路(なぜ「産業道路」なの?)を南下し児島湾大橋を渡り児島湾に回り込む、しばらく行くと高島宮があり、このあたりが宮浦である。ここから500mの沖に見える島があの神武由来の高島であるが、あっけないほど小さい。さらに300mほど行くと貝殻山登山口の看板があり右折して整備された広場で車を停める。息子たちが小学生のころ遠足で来ていた場所でこの辺りにバスできて登山したのか、それとも頂上まで車でいったかは確認してみよう。
貝殻山を東から巻くように登っていく、池をすぎると少し急坂が続き50分ほどで車道に飛び出した。そこから右へ200mで駐車場にそしてその上が貝殻山頂上広場だ。ここに弥生遺跡や貝塚、のろし跡などが発見されている『高地性集落』の代表例だ。(高地性集落「貝殻山」)
ここからは瀬戸内海は当然として北に本宮高倉山、西北西に楯築遺跡が見通せる最高の前線要塞都市だったに違いない。しかも楯築遺跡の項(楯築遺跡と邪馬台国)で述べた通り冬至の朝日がこの貝殻山から登ったことはまちがいがなく、宗教的にも重要な地であっただろう。写真は500m西にある天目山から北を望む景色で高島と高倉山が一直線に見通せる。
神武東征由来の高島の宮を笠岡神島沖の高島と比定する意見もあるが、この貝殻山を要塞とした児島こそが高島ではなかったのではないかと考える。
下りは天目山からキャンプ場の脇をぬけて細い道を下りてゆく。40分ほどで駐車場に到着、快適な山行であった。
貝殻山頂上からの瀬戸内海眺望