楯築遺跡 は卑弥呼の墓か?
楯築遺跡は倉敷市矢部西山庄団地の片岡山と呼ばれる小高い丘の上にある弥生時代後期(3世紀)の全国最大の巨大な墳丘墓である。
双方中円墳で全長78m、円丘部は直径40m、高さ4?5m。突出部は東北(丑寅)10m、南西(未申)22mであったが、造成工事と給水塔建設工事で切断されてしまい、東北への突出部の一部だけが復元されている。 円丘部の上には5つの巨石が円環状に立てられており、人々を圧倒する。温羅伝説によると、吉備津彦が温羅と戦う時、ここに陣を構えて、矢を防ぐために築いた石の楯であるとされており、楯築の名の由来となっている。(参照HP 古代吉備王国の栄光と衰亡 金谷信之氏制作)
このストーンサークルは何物なのだろうか?弥生墳丘墓としては日本最大で、棺の中からは30キロあまりの水銀朱がでている。薬師寺慎一先生によれば、被葬者の歯が比較的小さく女性である可能性があるようで、その年代から卑弥呼のものではと示唆されている。またこのてっぺんから吉備特殊器台が発見されるが、これはのちに箸墓古墳などの大和近畿において発見され、吉備と大和の関係に多くの疑問を思いおこさせる。
楯築遺跡頂上 神社跡