大江山 皇大神社

皇大神社 (こうだいじんじゃ)大江山 09 May 6

皇大神社

皇大神社は酒天童子で有名な大江山の南麓にあり、籠神社と同様に元伊勢を名乗って天照大神を祀っている。ちなみに「皇大神」とは「天照大神」のことである。伝承によればアマテラスはこの丹波でなくなり、その亡骸は、皇大神社の付近に葬られているという話もある。とすると元伊勢というより、大元伊勢といってよいかもしれない。昨日、宮津から与謝野町の「丹後ちりめん歴史館」を訪ねた後、大江山グリーンロッジに宿泊した。あとでわかるのだが、歴史館の近くに全国でも数のかぎられた倭文神社がある、つまりこの地域には古代から絹産業が存在した証拠だ。翌朝、たっぷりと朝ごはんをいただきさっそく出発した。山道を数分下ると、本日の目的地の皇大神社に到着した。

昔から参拝客の多いこの神社の参道にはみやげものやや旅館が立ち並ぶがいまは人通りもなくさみしい空気がただよっていた。入り口からゆるやかな階段がしばらく続く、なかなかの社格を感じさせる古社の趣だ。その清涼とした空気感は伊勢神宮にちかいものを感じる。写真の拝殿の前にたどり着くと、左側の階段から十名ほどの白装束姿の人がむしろをもって現れた。やはり多くの信者さんがこのようにお参りにくるのか?彼らは拝殿の前に座りこんでなにやらお祈りをはじめた。我々のようなたまの参拝者にはお参りしにくい状況である。

新興宗教

お掃除をされていた方に「いつもこのような信者さんがこられるのですか?」とたずねると「時々、現れる大阪の新興宗教の一団」という返事であった。ものの本(HP)によると、古代より皇大神社一帯は聖地とされており、明治以後、聖地としての色合いは一層鮮明になる。かの大本開祖・出口ナオと大本聖師・出口王仁三郎が皇大神社を真の元伊勢と崇敬し、天岩戸神社の清水で禊ぎを行ったといわれており、多くの神道系新興宗教が聖地とあがめこの地へのお参りをおこなうのだそうだ。

明治末期、籠神社がそうであった様に、皇大神社においても社格昇格運動が起こったそうで、運動の中心的存在として活躍された脇田房蔵氏(元河守上村長)は、皇大神社周辺の口碑調査をメモにして残されているそうだ。その中に『日室ヶ嶽(岩戸山)に相対峙する山を高底城山という。高底城とは御陵地の尊名であり、ここは皇大神の御遺骸を納めた地である。』との驚くべき伝承をとどめている。古代史におけるただならぬ場所であることは間違いないようだ。ちなみに田村誠一氏は「天照大神は蒜山(高天原)を出て大江山に移った」とその書物に著わしている。

新興宗教のみなさん

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