吉備の中山 吉備津彦神社から元宮磐座へ 08 Oct.25
岡山マスターズクラブの仲間とS氏を加えた5人で吉備津彦神社の元宮の磐座をたずねることになった。ことの始まりは、O氏が昔「吉備中山の山頂の磐座を訪れて超常体験をした」ということから話が盛り上がり、そこで土曜の朝に集合することになった。
吉備津彦神社を参拝した後、境内の左側に回り込むと登山口があり、そこから「奥宮磐座」を目指し登りはじめる。歩きやすい道が整備され、ちょっとした散策ロードである。竜王山への分岐を右にとり20分ほどで頂上に到着した。その広場は人の手によって草が払われているのだろう、緩やかな斜面にその巨大が磐座が注連縄に守られて悠然と鎮座していた。記念撮影などをすませた後、祝詞をあげみんなで磐座に触れてパワーを戴いた。
真金吹く吉備の中山といわれるように古代より吉備の中心地である。真金吹くとは製鉄が盛んなという意味だが、この中山にはたたら跡のような遺跡は見当たらない。もちろん真金吹くは吉備の枕詞なのだ。でもこの吉備の中山は謎だらけの山である。まずこの竜王山の南の頂には吉備津彦命の陵とされる御陵(中山茶臼山古墳)がある、これは陵墓として管理され墓域には立入禁止となっている。つまり宮内庁が認める天皇家の墓ということである。
つぎに二つの一宮である。この中山には「吉備津神社」と「吉備津彦神社」の二つの一宮(備前、備中)が一つの山の麓に存在する。何故?という感じだ。同じような名前の神社がすぐそばにありそれが国境にあるのはいかにも不自然だと思う。
さらにこの中山の南麓には最古?の前方後円墳「矢藤治山古墳」があるのだ!墳長約35mの前方後円墳で方格規炬鏡(TLV鏡)1、大型硬玉勾玉1、ガラス小玉50、終末期の特殊器台と特殊壷が多数発見され最古式のものとかんがえられるというのだからミッシングリングともいうべき非常に重要な遺跡である。奈良大和に特殊器台が移動する直前のものとすれば史上最古の前方後円墳である可能性もある。