FORCE of NATURE 里帰り展 しばたゆり

FORCE of NATURE 里帰り展 07-June.26 しばたゆり

自然の力/アートの力

FORCE of NATURE 里帰り展

2006年10月?12月にかけて、米国ノース・キャロライナ州、及びサウス・キャロライナの2州の7つの大学、アートセンター、美術館が日本のアーティスト10人を招待し、「Force of Nature(自然の力)展」を開催しました。同展は、アーティストたちが6カ所にわかれて6週間滞在して作品を制作し、それぞれの会場で発表をするというものです。また、各滞在場所で開催された個別の展覧会を一同に会した合同展も、Sumter County美術館で2007年4月から開かれており、3年間米国を巡回する予定です。
 「Force of Nature展」は、既存の展覧会という概念を一新し、各地域のさまざまな人々をまきこみ、プロジェクトとして生成し続ける革新的な試みです。参加した日本人アーティストたちは現地で調達した自然素材を用い、その場に根ざした作品制作を行いました。驚くべきは、その過程で起こった人々のつらなりであり、出来事の連鎖反応です。それはもはやアートを超えて、自然現象とも呼ぶべき事態を引き起こしたのです。いかにしてひとつの出来事が発生し、広がっていくのか。いかにして世界は「開かれて」ゆくのか。この発生し、連鎖していく力を自然の力と呼ぶならば、アートの力とはまさにここにこそ宿るものだと言えるでしょう。
 「ART」とは本来、生きる技術のことを意味しています。つまり、人間がいかにして自然との関係を作り上げていくのか、その方法に関わるものであります。「我々は自然の一部なのか、それともそこから切り離された存在なのか?」本展が提示する問いへの議論はここから始まります。そして、その場を日本に移してさらなる展開をむかえます。
 「Force of Nature日本実行委員会」は、アメリカでの画期的な企画を紹介し、日本においても「自然の力/アートの力」へのさらなる思索と探求をめざすべく、本展覧会参加アーティストたちと、この展覧会の日本人キュレイターとで立ち上げられました。アメリカにおける「人々をまきこむ」という運営方針を継承すべく、日本においても4つの大学、1つのギャラリー、そして1つのアートセンターが協力してさまざまな企画を行います。尚、各企画には同展覧会に関わった、アメリカの大学や美術館から3名の人たちを招待します。
Force of Nature日本実行委員会
福 のり子(京都造形芸術大学)

以上のような趣旨でア-ティスト しばたゆり が参加した展覧会が京都で開催されドライブがてら見てきた。

しばたゆり 京都造形芸術大学入口

アーティストといってもミュージシャンではない。表現者全般をアーティストと広義で呼ぶのは理解できるが、近頃の歌い手を歌手とかヴォーカリストといわないでなぜアーティストというのか、その答えは「かっこいいから」である。「ユニット」とか「コラボレーション」というような言い方も美術の世界で使われてきた言葉で、欧米では高い評価と尊敬を集めている美術界に習うかたちで音楽業界が使うようになったのだ。

日本では残念ながらそこまでの扱いはうけていない。彼女との付き合いも20年になるがこれまでも大変に厳しい道のりであっただろうと思う。しかしここに来て「ブレイク」のきざしをみせてきている、いくつか大きな美術館の企画展に招待されたり、この度のように海外に招待されたりと大忙しである。そばに居た者としてこんなうれしいことはない。

この展覧会の趣旨にある「我々は自然の一部なのか、それともそこから切り離された存在なのか?」という問いかけに思うこと、それは結局『キリスト教と神道』のちがいにつきるということだ。日本人美術家がどんな美学的アプローチを試みるにしても「我々は自然の一部ではない」と考えるものなどいないだろう、つまり本展は欧米人(アメリカ人)が日本人をアートというメディアで理解しようとする試みだともいえる。

「アートを超えて、自然現象とも呼ぶべき事態」というアートの持つ力を「生きる技術」と理解するのはそのとおりで、私などはさらにすすめて「アートとは生きることそのもの」と考えているぐらいだ。(参照:住まいとアートの心理学)

左の写真は会場内のしばたゆりのコーナーだが、その作品の生々しさは強烈で、世界と自身とが同根で決して切り離せる存在でないというような概念を感じる。彼女の風貌も手伝って私はこれを「巫女アート」と呼んでいるが本人は苦笑いしながらそれを聞いている。なにしろ彼女の話を聞くとどうやらおうちは『キリスト教信者』のようなのだ。

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