西谷墳墓 群 出雲遺跡群へ その二

西谷墳墓 群 08 May

西谷墳墓群

出雲市街南東部の標高40m程度の丘陵に存在する。弥生時代後期から古墳時代前期にかけての2世紀末から3世紀に築造されたと考えられている。1953年(昭和28年)に発見され、現在は27号までと番外5号までの32基の墳墓、古墳と横穴墓が確認されている。このうち、1?4・6・9号の6基が四隅突出型墳丘墓である。四隅突出型墳丘墓は出雲地方を中心とした特徴的な形をした弥生時代の墳丘墓で、この西谷墳墓群や安来市の荒島墳墓群に巨大なものが見られる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

四隅突出型墳丘墓

荒神谷遺跡から出雲市に向かって車をすすめると、なかなかわかり難いところにこの遺跡公園はある。出雲市駅の比較的近くなのだが、街中ではなく目印といえば出雲商業のグランドに隣接しているということだろうか。駐車場から公園内を周回する遊歩道が整備されており、さっそくその特徴である台形の墳墓が現れる。これがあの有名な四隅突出型墳丘墓だ。方形墳丘墓の四隅がヒトデのように飛び出した特異な形の大型墳丘墓で、その突出部に葺石や小石を施すという墳墓形態である。

三号墓といわれるものから、各地との交流をしめす土器が出土しているが、それは北陸の土器と吉備の特殊器台である。時代も楯築と同時代と考えられるが、吉備、出雲、北陸が交流していたという表現にとどまらず、強い繋がりをもった関係になったと考えるがどうだろう。これがこの時代の社会変動の特徴をあらわすものだろうし、後年、箸墓においても同様のことがおきたのだろう。とくに「古事記に語られる出雲の国譲り」のエピソードが奈良大和と出雲の間におきた出来事と考えるとわからなくなるが、吉備倭(邪馬台国)と出雲の間の出来事と考えれば、ぴったり符合するのではないだろうか?

四隅突出部から墳頂に登る

西谷墳墓群(一の谷公園)Map

西谷墳墓群Map

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