吉備の 陶棺 とユダヤの関係

吉備の 陶棺 突拍子もない話と思うなかれ!吉備のユダヤ人 08-jan.5

倉敷考古館長の間壁忠彦氏と・葭子夫人共著 『吉備古代史の未知を解く』より、「焼き物の棺は、全国的にみても、その7?8割に当るものが、岡山県下で発見されている。しかも、県下発見例の中の7割以上が、吉備の中でも、後の美作となる地域に集中していることは、あまりにも異常な事なのである。」という部分を引用しながら 陶棺 ユダヤ人説を大橋氏が主張している。これは「田村誠一氏の説」を検証しているのだが、このページ「ユダヤ人は美作にいた」の後半に登場する「寒羊の図」の写真をさがしていたが、見つけた。国立上野博物館ではなく東京国立博物館に所蔵されているこれが「寒羊図」の写真(岡山県美作町平福出土)だ。「寒羊」とはイスラエル原産のしっぽの大きく太い種類で古代中国にも確認されておりユダヤ人と中国の関係をうかがわせる、また尾は劣悪な環境に耐えるために脂肪が蓄積されたもので「脂肪羊」ともいわれる。もちろん羊はユダヤ人にとって神の使いである。そして上部に三つの山なみのような波型が見えるがぼくには直感的に蒜山三座だとしか思えない。

陶棺 唐臼墳墓群

左は久米(美咲町打穴西)にある唐臼墳墓群なのだが、ここからも陶棺が発見されており間壁忠彦氏の解説の通り火葬墓が併設している。説明によれば陶棺横面に白い塗料で円い図が施されているらしい。この白い円がどんな柄なのか写真で確かめたい。

そうこうしているうちに面白いものを見つけてしまった。東京国立博物館の写真資料で「寒羊(脂肪羊)図」の陶棺写真を見つけたあと、その下の陶棺(岡山県長船町東須恵本坊山古墳出土古墳時代_7C)を見たらそこに刻まれた模様は「16弁の菊花紋」の図であった。もちろん皇室由緒の紋であるのはお承知の通りだが、これがエルサレム神殿の門にもこの「16弁の菊花紋」が刻み込まれているというのだ。ここで遅ればせながら「日ユ同祖論」なるものを知る事となったのだが、決して突飛な話ではないと今は思っている。実際には「蓮華紋」と呼ばれる文様で仏教的模様とされるが、シルクロード上の遺跡に多く見ることができる。エルサレムの方が影響を受けたのかもしれない。

神道で葬儀が行われなくなったのはいつのことなのだろうか?布津御霊神社の物部宮司は「葬式は寺にまかせてある!」といっていたが、仏教伝来以来ともいわれる。この陶棺が仏式で祭る形式への過程であろうことに異論はないが、習合の過程でみずからの祖神伝説を残そうとするはっきりとした意思を感じる。

「日本人とユダヤ人は同根である」といわれれば、それは「そんなばかな!」と思って当たり前だが、「田村、大橋説」は『「失われた10支族」の一部がシルクロードを通って倭(日本)に辿りつき、「絹の貿易」を主事業として当時の倭国(天皇家)に大きな影響を与えた』というものでこの説にはおおきく頷けるものがある。

“吉備の 陶棺 とユダヤの関係” への1件の返信

  1. 安土桃山末期、江戸初めの1604年に、ポルトガル人のジョアン・ロドリゲスが、日本に布教に来て30年ほど滞在し、作ったのが「日本大文典」という印刷書籍です。400年前の広辞苑ほどもあるような大部で驚きます、秀吉の知遇、さらに家康の外交顧問もしていました。当時、スペイン国王からはメキシコに帰る難破船救助のお礼に、「家康公の時計」をもらっています。古代から伝えられてきた日本の歴史について知ることができる タイムカプセル でしょうか。戦国時代直後まで伝えられてきた古代史で、倭国年号が522年善記から大宝まで記載され、続いて慶雲以後の大倭年号が続きます。日本大文典の倭国年号の存在は、ウィキなどにも記載されていません、「日本大文典」の実物を手にとって見てください、感動すること間違いありません。    宜しくお願いします。

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