中蒜山 日留宮 を訪ねて

中蒜山 日留宮 を訪ねて 07-Nov.15

中蒜山5合目 日留宮

中蒜山は前回、前々回と縁がなかったが、今日やっと天候に恵まれた。田村誠一氏の書「燦然とかがやいていた古代」の中で、「天の真名井」に比定される「塩釜の冷泉」へ到着しロッジの店員さんに駐車をことわって(登山する人は申し出てって看板に!)登りはじめる。本日の目的の一つが5合目にある 日留宮 (左写真)なのだがVettyさんのページを参照してもらうとわかるとおり田村氏はこの5合目付近にアマテラスが宮殿を構えたと主張される。やっと到着、記念撮影をするも、大きな建物を建てるような平地はどこにも見当たらない。

蒜山中腹の広場

気を取り直し出発、だがここから急登が続く、6合目、7合目とようようたどりつくと、右側に少し視界が開け、どうみても人の手がはいったとしか思えぬ階段状の平地を発見した。写真では判り難いが、そこだけ木の生えていない、草原(クサハラ)が高度6合目あたりに二段みえる。ここにちがいない。

この登山道から向かおうにも道などまったくない、きっと、下から道があったにちがいないと思う、くらい人工的な景色だ。田村氏もここには訪れておらず、地図の等高線をみて「このあたりと」とされていたが、まさしくそのあたりであろうか?少し高度が高いかもしれない。でも発掘隊を組織して取り組めばと思うとぞくぞくする。

その後、急登がつづくがそのほうが早く目的地につくような気がする。1時間40分ほどで蒜山縦走路に飛び出した。左へ10分たらずで中蒜山頂上に到着、前回は雨のなか雲におおわれて何もみえず記念撮影もそこそこ、逃げ込んだ避難小屋でもう1枚「濡れネズミの図」を撮った程度だったが今回は雲間から光がもれそそぐというすばらしい景観だ。これこそが2千数百年前の人々がみた高天原の姿かと思うと感慨深いものがある。

高天原全景

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幻の書「 神代遺蹟考 」ついに入手

幻の書「 神代遺蹟考 高天原は日留山高原だった」佐竹淳如遺稿 ついに入手 07-Nov.15

神代遺蹟考

吉備邪馬台国説ないし高天原蒜山説を唱える方は私の知る範囲で主に以下の方々がいらっしゃる。フランス在住ジャーナリスト広畠輝治氏、大阪の歴史研究家兼社長の田村誠一氏、Web上に3個(?)のサイトをもつVetty(大橋蛍火)氏(新しい日本の歴史
、楽しい人生
、新しい日本の歴史)、静岡県掛川市在住のお医者さん若井正一氏(全国歴史研究会本部会員)、郷土史研究家 薬師寺慎一氏、しかしそれぞれの方にさきがけること80年前にこの源流に踏み込んだのは元勝山中学英語教師の佐竹淳如(しんにょ)先生である。

京都のお寺に生まれた佐竹先生は大正15年(昭和元年)に英語教師&教頭として岡山県立勝山中学校(現勝山高校)に赴任、約1年間の研究にて某大新聞社に本原稿を発表する予定もなぜか急遽中止、そして京城の中学へ左遷(降格)となる、つまり発表の場は奪われたということだ。当時、国により皇国史観、神武東征、高天原は天上の世界を真実とされていた時代だから、異論を唱える者はこんなひどい目にあったのだろうか?それにしても高天原蒜山説が見当違いなのであれば無視すればよいような気もするが、そんな甘い時代ではなかった!それが、東京山中会(東京で活躍中の真庭郡出身の皆さんの会)の尽力により出版されたという貴重な本なのだ。

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美作國一宮 中山神社

美作國一宮 中山神社 07-Sep.24

中山神社 拝殿

美作國一宮の 中山神社 はその名のとおり津山市一宮にある。いまでは「なかやま」と読まれているが本来「ちうさん」「ちゅうさん」という音が正しい。その由来、由緒については
日本中の主な神社を網羅するサイト「玄松子の記憶」を参照してほしい。また、およそどの関係サイトでも創立に関しては以下のような解説である、『 中山神社 縁由』によると、本社の創祀は慶雲四年(707)四月三日であるという。 が、続日本紀には和銅六年(713)四月三日に美作国が備前国より分立したことを記しており、本社は美作国分立と共に本社が創始せられたのではなかろうか。理由として、旧吉備国から分立した備前国・備中国・備後国すべてが吉備国の守護神たる吉備津神社を奉斎している。 したがって美作国も吉備津神社を勧請してもしかるべきと考える。

つまり、吉備津神社から分かれて創立されたというのだがここがお味噌である。以前のログの「宮座山 古代祭祀遺跡」の項でも少しふれたが、この「ちゅうさん」のほうが吉備津神社の元ではないかというのが我説である。吉備津宮はもちろん吉備の中山(なかやま)の麓にあるわけだが地元中学はなぜか中山(ちゅうざん)中学だ。この考えのもとになっているのは池田弥三郎先生(慶応義塾)の説なのだが、この「ちゅうさん」の源泉を新庄の御鴨神社=宮座山と推論している。猿神社また最近知ったことだが現在の真庭市のなかでも八束、川上、新庄あたりを総称して「さんちゅう」(山中)と呼ぶ。

つまり出雲の国譲り伝説や蒜山高天原説にも関係するが出雲勢と高天原勢が合従連衡して製鉄文化をもって吉備に邪馬台国を治める流れを作ったと考えるられ、そのKeyPointにこの神社が位置するのだ。ちなみに御祭神は「鏡作神」で「鏡野」というこの地にふさわしいのはいうまでもないが、出雲の玉造と赤坂の布津御霊とあわせれば、これで「三種の神器」がそろうということだ。

また、今昔物語や宇治拾遺物語に「中山の猿神」として登場する
猿神社は、境内の後方50mの岩の上にあり、安産を願う
崇敬者の奉納した赤い猿の縫ぐるみが多く祀られている。

猿神社

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カレー ハウス 「木」はウッディハウス

ハンバーグ カレー

カレー ハウス 木(ぼく)津山市籾保598 07-Sep.24

山形仙の声ヶ乢登山口から加茂方面に下りて津山にむかった。結果すこし遠回りの感じだが鏡野にぬける農道?にでる、今日のLunchの目的地はこの道のどこかにあったカレー屋さんである。もう津山の街だというすこし手前にその山小屋風の店「カレーハウス 木」はあった。6?7台分ある駐車場がいっぱいですこし待つことにして店の様子を家内に見にいってもらうとほどなく先客がでてきてすぐに停まれた。このようすだとかなりの人気店らしい。

注文してしばらく待つとそれは運ばれてきた。みておわかりになるとおりルーはしゃぶしゃぶなのだが、実はしっかりとしたトロミがある。肉や野菜をかなり煮込んだいるのだろう、その味わいと独特の舌触りはおそれいるほど魅力的だ!つるつるっといただいてだいたい1000円前後の手ごろな値段でもある。病気対策のためカレーは大敵ということでカレー屋をみつけると即入るという習慣はいまはないがそれでも岡山の専門店は網羅しているつもりである。そしてそのなかでもTOP Levelにちがいない。

ハンバーグカレーが美味い

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鏡ヶ成 擬宝珠山、象山(笹ヶ峰)

鏡ヶ成 ロッジから擬宝珠山、象山(笹ヶ峰)を周回 07-Oct.24

鏡ヶ成 擬宝珠山山頂

蒜山大山スカイラインを 鏡ヶ成 へむかいロッジ前に到着。ここの広場は芝生が一面にひろがり気持ちがいい、先客が大型犬をはなして遊んでいる。ロッジ南の擬宝珠山登山口から20分ほどのぼると山頂到着あっというまだ。山頂は東に展望が開けるよい景色でここにも愛犬連れの先客がLunch Time。

われわれは一服の後さっそく象山へむかった。鏡ヶ成 擬宝珠山山頂の手前(西)に分岐があり北に尾根を辿ると左に下山道がある。スキーリフトの上部の脇を通って鞍部に下る(30分)。ここから階段が整備された道がつづくのだが、これがきつい!やっとのことで象山(笹ヶ峰)山頂に到着した。ここでお弁当をいただき景色を堪能、西正面に烏ヶ山、大山を楽しむがかすんですこし見難かった。

鏡ヶ成 りんどう

くだりは東に伸びる尾根伝いの道を行く。道端にりんどうがたくさんちいさく咲いている。山に咲くはなは総じてちいさくて謙虚だなあ!樹林の中を下っていくと平坦地の分岐に出る。<直進は新小屋峠。R46の車道に出る>。左にとって山すそを回りこんで 鏡ヶ成 の休暇村に出る。湿原がありボードウォークが整備されているので一巡り散策しながら駐車場へ到着した。さあいつものように蒜山のとうふを買いにいこう。

象山(1085m)山道のりんどう

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声ヶ乢登山口から 山形仙 へ

声ヶ乢登山口から 山形仙 07-Sep.24

山形仙 声ヶ乢登山口

雨上がりの朝家をたち、昼前に声ヶ乢登山口についた。東に登れば広戸仙だが、西の山形仙に登るのが本日の目的である。歩く人も少ないらしく蜘蛛の巣といばらとの戦いの連続である。拾った枝で振り払いながら進むがこれが大層つかれるものだ。40分ほど登ったただろうか、息もきれたところをもうひとのぼりすると頂上らしい狭いひろばに到着、一服とした。

山形仙 頂上

少し先に鉄塔がありそこがピークのようにみえるのでいってみることにした。道もかなり荒れていて軽いヤブコギがつづく、やっとこさで鉄塔に到着するが何の景観もない。地図によればこのさきを降りてまた登りかえしたあたりに黒姫城跡というのがあるらしいのだが踏み跡らしきものもない。あっさりあきらめてさっきの広場を通って下山開始だ。今日は気になるあのカレー屋にゆくのだ。

山形仙(791m)山頂にて

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草間 カルスト台地は蕎麦どころ

草間 カルスト台地は蕎麦どころ 07-Aug.28

草間 かたくり庵

岡山から新見に向かって180号線をゆくと高梁から20kmほど過ぎたあたりに井倉洞があり、そこを上へ登ってゆくと草間カルスト台地だ。前回は「田舎や」であったが今日はその先200m先にある「かたくり庵」を訪ねた。

手作り感たっぷりの店で、中に入るとかなりの年配のおやじさんが現れた。話を聞くとここ草間は昔から蕎麦の栽培地だったという、というより蕎麦しかできなかったのだそうだ。おやじさんのこどものころは蕎麦ばかりでお米にありつくこともめずらしかったという。その後、お上の指導で果物栽培に転じて現在は桃やブドウが収入源になっているそうだ。

草間 山菜てんぷらそば

そしてこのおやじさんは、もともと官営である「田舎や」の職人だったそうで、数年前に独立したといういきさつらしい。メニューから「てんざる」と「かもざるそば」を注文して、しばらく外の庭の景色を眺めているとそれは運ばれてきた。田舎そばらしい重さととれたての山菜てんぷらの新鮮さがうれしい。鴨の小鍋も甘くていけた、おなかもいっぱいになり満足の態で店をあとにした。

らしょうもん

このあたりはカルスト台地で多くの鍾乳洞がある。有名どころで井倉洞、満奇洞などがあるが、北房への途中にある「羅生門」と名づけられた名勝に向かった。駐車場に到着するとさっそく靴を履き替え整備された遊歩道を200mほど入り、そこから下へ下へと降りて行くと目の前に巨大な石の洞門が現れた。さらに下って写真のトンネルをくぐりぬけ降りてゆくと、霧のように白くけむって大変幻想的な様子となってゆき、底につくと新たに洞門があらわれ、まさしく「そこ」が終点だった。

奇観「羅生門」

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お盆は 三島 で

お盆は 三島 で 07-Aug.16

三島 家族

渋滞を避ける目的もあって岡山を夕方に出発して彦根で一泊し、翌日11時に家内の実家のある三島に到着した。もう一日で700kmを走りつづける元気はないのが本音である、沼津インターには予定通りついたもののそこから迷って結構時間をくってしまった。

三島 うな繁のうな重

午後はゆっくりさせてもらって、夕食はさっそくうなぎとあいなった。三島はなかなかのうなぎどころで昔からなじみの「うな繁」にいったのだが初めに比べて当時の5倍くらいに店が大きくなっている。ひさしぶりに次男も参加しおかあさんを囲んで、たっぷりと「うなぎ」を賞味する、昔いまはない「浜名亭」でいただいた巨大うな重の話題でもりあがった、ほんとうにごちそうさまでした。

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福山といっても総社です

福山といっても総社です 07-July 17
福山

昨日は雨でさんざんだった、そして今日も北の天気があやしいので南の福山を目指したというわけだ。福山は南北朝初期の延元元年(1336)5月、この備中福山城をめぐって南朝方の新田義貞の武将である大井田氏経(おおいだ・うじつね)の軍勢と、北朝方の足利尊氏の弟、直義(ただよし)の軍が三日三晩にわたって死闘を繰り返した山である。安養寺から清音にぬける途中、浅原峠から登りはじめると20分あまりで頂上についてしまった。先客が何人もいて休憩所はもういっぱいである。

福山遊歩道

年輩の先客のひとりがすごいものがあるというのでついていくとそこには宇垣一成の顕彰碑があった。宇垣一成は岡山の偉人の一人で我が家の田舎の大内の出身である。評価の分かれる人物ではあるが朝鮮府総督としてまた、万年首相候補として有名だ。

しかし福山は、なんといっても多くの古墳群に囲まれた神奈備山である。すぐ北には宮山古墳のある三輪山がある。宮山古墳は最古の前方後円墳の可能性が指摘される貴重なもので、宮山型といわれる特殊器台で有名だ。それになんといっても「三輪山」である、特殊器台がその後、忽然として奈良大和の箸墓古墳などに引き継がれるわけだが、そうすると「三輪山」もどちらがもとなのだろうか?大和の山の辺の道付近とこの総社付近ではいくつも共通する地名を発見することができる。「三輪山」「龍王山」「中山」「石上(吉井町)」などである

福山遊歩道

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鯉ケ窪 湿原

鯉ケ窪 湿原 07-July 16

鯉ケ窪 湿原

今日はあいにくの雨模様、6名で花見山に登る予定だったがあきらめて 鯉ケ窪 湿原にゆくこととなった。新見から20kmほど東城方面にゆくと道の駅「 鯉ケ窪 」がある、そこを左折して数キロで到着だ。江戸時代の灌漑用にできた池でそのまわり約2.5kmの遊歩道が整備され、山際に湿原がひろがる。当時の山は放牧用地として木があまりなく、土が流れこんできて湿原となったという、しかし現在は森に覆われて年々湿原が縮小しているそうだ。7月は水辺にさく草花の開花のピークで、とくに入り口近くの管理棟裏には多くの植物が集められ、見ごみがある。アマチュア?カメラマンが高価そうなカメラを三脚にたてファインショットを狙っている。

鯉ケ窪 田舎屋名物「けんちんそば」

お昼は草間カルスト台地に向かった。田舎屋という「そのまんま」とつっこまれそうなそばやに入り、名物「けんちんそば」をいただいた、名前のとおりけんちん汁にそばがはいっていた。(なんのひねりもない)休日でもありたくさんの客でにぎわっていた。さあ、こんどは北に向かって岡山最北西にある神郷温泉だ、なんだか日帰り温泉ツアーという趣となってしまった。

田舎屋名物「けんちんそば」

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