「 ツモロ 」のハンバーグは…

「 ツモロ 」のハンバーグは覚悟がいる! 07-Apr.24

ツモロ

知る人ぞ知る「岩石ハンバーグの店ツモロ」(勝手に命名)は岡山市の国道2号線(旧?)上道北方ナカシマプロペラの前にある懐かしい喫茶店の風情を残す店だ。懐かしいのも当然で私が車を乗り始めた頃からすでにそこにあった、つまり34年前以前からその場所にあり当時すでに幻の名車といわれていた「いすずベレット」がいつも停まっていたことを思い出す。

現在は情報誌などで「600gのビッグハンバーグ」の店として紹介されており、私も挑戦はしたがとてもしんどかった思い出がある。本日は家内と二人だからそんな無理はせず、「カレーとビーフシチュー」を注文した。ツモロのカレー見てお分かりになるかどうか、キャベツが別の皿に一盛りできてさらにそこに焼き肉が4切れほど添えられている。「絶対に量で不満はいわせない!」という店主の強いメッセージが現れているようだ。

我々がその大振りなわりに意外なほど繊細な味を賞味している間、次々と客が現れる。そしてそのほとんどが「ハンバーグ」を注文する。そんな様子をみて家内がいった「ここのお客さんはみんな同じような体格してるわね!」そのとおり、店内にいる男性客で僕が一番スリムなような気がした。

「カレーとビーフシチュー」でそれぞれ¥1000

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石上布都御魂神社 崇敬会大祭

石上布都御魂神社 崇敬会大祭 07-May 3

石上布都御魂神社 稲田神職

5月3日は恒例の崇敬会大祭である。昨日が僕らの結婚記念日なのだかそれはすっかり忘れてしまい今日は8時から出てくる、そして昨日だったと思い出す。ここ何年かそんな感じだ。右写真は私にとってはとてもめずらしい存在の女性神職のIさんである。お話を伺うと、伊勢の皇學館出身でさほど珍しい事でもないよう、磐座もともと古代においては女性の役割であったというのが自説であるので、昨年はじめてお会いしたおりには「我が意を得たり」とおおいに気を強くしたものだ。

今年は奥の宮での御祭りのあと従来禁足地とされている磐座に上がる事を許されたので、多くの崇敬会員が上った。この写真は磐座のてっぺんにあるくぼみで、ここに溜まるお水がいぼ落としにご利益があるとされているのが転じてガン治療に対してご利益があると遠くから人が来るということらしい。そして畏れ多くも写真に納めさせていただいた。

禁足地の稀少影像?

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滝山 は那岐のとなり

滝山 は那岐のとなり 07-Apr.30

滝山 登山口

今日は那岐山の西隣の 滝山 を目指した、国道53号奈義町から少し津山よりの 滝本 (那岐池、滝神社の看板あり)を北に入る。あとは看板サインに従って自衛隊用の道らしき未舗装の道をしばらく行くと登山口の広場に到着、滝神社参道を沢沿いに登り始めた。

滝神社

この山もといっていいのか修験道の始祖「役の小角」(参照『Pandaemonium』)の開闢によるもので女人禁制の歴史をもつ、いまでも奥の滝の宮にその印が残されているらしい。といっても夫婦でのぼる。

25分ほどで滝神社に到着、このすばらしい空間でしばらく一服、再び登りはじめる。ここからがなかなか厳しい登りがつづくが、このきつさはひさしぶりなせいだろうか?神社から1時間はゆうにすぎたころ、やっと縦走路に飛び出した。ここから西へ少しで滝山頂上に到着、標高1196m天気晴れとはいうもののすこし霞んで遠方までは見渡せない、残念。

滝神社

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周匝 (すさい)とは! 須佐之男命の?

周匝 宗形神社

周匝 (すさい)とは! 須佐之男命の居場所? 07-Apr.24

赤坂(現在の赤磐市)には石上布都御魂神社のほかにも須佐之男命を連想させるポイントがある、「周匝」だ。岡山美作線(県道27号岡山吉井線)を北上し吉井川にぶつかるとそこが周匝である、しばらく行くと「つちのこの里?」「是里リゾート」などの看板の交差点を左折(西へ)し1.4kmほどの黒本を右折し宗形神社を目指す。もちろん福岡の三女神を祀る宗像神社と深い縁を持つ延喜式内社の古社である。田舎道をじょじょに登って行くと、こんもりとした鎮守の森が見えてくる。車を道端に停めて参道を上るといつものように静かな境内だ、誰かが掃除されてるのだろう頭が下がる。

周匝 血洗いの滝

さて参拝をすませ再び田舎道を進んでゆく、だんだん道も細くなり心細くなるが2kmほどで本日のメイン「血洗いの滝」の駐車場に到着。水の音を聞きながら川に下りてゆくとそこが「滝神社」(岡山県神社庁には登録なし)である。昼間でも薄暗く、しばらく手の入っていない鳥居、朽ちかけた拝殿、その奥に小さな社、昔整備されたのであろう道を奥へと進んでゆくと、「血洗いの滝」を目の前にする事ができる。『血洗い』とは素盞嗚尊が八岐大蛇を討ったあと、『布都御魂』こと『十握劒』をこの滝で洗ったという伝説に由来する。

多くの方が「出雲の伝説」がなぜここ「吉備の赤坂」にという疑問の湧くところであるが、そこがこの話のポイントだと思う。本山寺小生の愚説ではあるが、弥生墳丘墓とその祭器をみていると「出雲と吉備」は強く深い連帯関係にあり、後に大和勢力と合従連衡ないし拡大していくなか、それぞれの神がそれぞれ小競り合いを経て一つの伝説にまとめられたのだと考える。つまり「八岐大蛇伝説」は吉備の神話ではないのか!故にそれに由来する箇所が多数存在するではないだろうか。

この滝をあとにして峠を越えると「本山寺」である。「役の小角」の開祖ということだから相当古い修験道の寺でありそのそばに金比羅山があり、さらに同時に祀られたとされる「波田神社」がすぐ近くにある。「本山、金比羅、波田(秦)」という意味深な名が並ぶ。近くにはかの法然上人の誕生寺があるのだが、法然上人の両親(父は久米押領使【おうりょうし:この地方の監督】漆間時国【うるまときくに】、母は秦氏【はたうじ】という。)が信仰したのがこの「本山寺」とされる。しかもおふくろさんが「はたうじ」だなんてそんな名前あり?という感じだ。

「本山寺」の三重塔 リッパ!

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南京町 長江はすばらしく辛い!

南京町、長江

南京町 長江はすばらしく辛い! 07-Apr. 17

神戸元町の南京町は言わずと知れた、西日本最大の中華街である。我々は、まず東入口に近い有名中華材料屋で調味料などを買い込むと、真ん中の広場にある超有名肉饅屋さんの行列を横目に、ごく普通の風情の四川料理店「長江」に入る。

麻婆豆腐

調理場の見えないつくりのこの店ではあるが、料理人がどこかでわれわれ客を観ているのだと確信している。なぜなら、料理がでてくるのが早い!なにしろ早い!そして、この店の特徴である四川料理の辛さを客ごとに調整をしている?に違いない。そんな思いに陥るぐらい隙のない店という印象がある。実際には店員さんに日本語のうまい人はおらず(ようにみえる)、内側の方で中国語が飛び交っているのだが、そこで重要な情報が交わされているのかもしれない。いずれにしてもいつも満足であるし、料金も手頃なうえ以外なほど駐車料金が安くつくというおまけつき。

麻婆豆腐は辛いけど、辛くない料理も充実している!

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草払い機で格闘!

草払い機で格闘! 07-Apr.4
牛窓で草払い機

牛窓でジャングル状の草原整備に挑戦した。長時間続けるとさすがに参ったが、何となく地面が現れた。それにしても自然の力強さには思い知らされる、Guen草はあっさりと刈られてもくれるが、根の張った蔓はそうはいかない。しかし一緒にがんばったyurichann,koisshy,guenと労働の後のBeerを「甘露!甘露!」というわけで、酒を飲むよい言い訳ができた。

右写真はよくがんばってくれたGuenくんと一杯やるの図である。

見た目とはちがいもう大人なGuen

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田地子 の巨石群遺跡

田地子 の巨石群遺跡 07-Apr.

田地子 の巨石群跡

本宮山の項で積み残した”大変なもの”の正体とは「田地子の巨石群跡」である。写真は奥吉備街道の建部よりにある記念小公園に再現された巨石群なのだが、以前であれば少しも気にせずにいただろう。この地区に「研石の巨石」=「大岩様」、「大黒岩」「行岩」「鉾立岩」と呼ばれる巨石群がある、というかあった。楯築遺跡や布都御魂奥宮磐座と同様の方位信仰の遺跡か?それとも南太平洋にも残る巨石文化をもった海洋民族の遺跡かもしれない。

建部支所に尋ねると建部町史に幾分か記されてるとのことでFAXくださった。いかにも残念なのはこの類いの古代遺跡は研究者が少ないのか、文化財に指定されずにいるのでここのように工事の計画にぶつかるといともあっさり取り除かれてしまう、高知の足摺岬にのこる巨石遺跡唐人駄場(参照 HP足摺巨石群 唐人駄場と周辺の遺跡)も同じ目にあっている。後に神社として祀られる時代がくれば畏れ多くて触れなくなるかもしれないが。今後、残る大岩を訪ねてみたいと思う。田地子の巨石群跡看板

田地子の巨石群跡看板

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醍醐桜 今年は満開!

醍醐桜 今年は満開! 07-Apr.10

例年に比べ10日は早い満開であった、今年はArtist「しばたゆり」とともに北に向かった。すべてが異例ずくめなのだろうか、まったく渋滞なしに駐車場へ3時過ぎに到着。満開の 醍醐桜北島三郎の 醍醐桜 の唄をBGMに畑のなかをその巨大な桜にむかって近づくと右にある二代目もずいぶん立派になっていた。

しばたゆりちゃん

われわれが初めて訪れて何年になるのだろう。毎年桜の色も咲き具合もちがう(地元の人がそういっていた!)そしてなんといっても駐車場の数が年々増えている。ある年など花を付けなかった時もあった。そんな中、変わらないのはその壮大な姿と生命力と蒟蒻を売るおばちゃんの元気さだ。

今年もエネルギーをいただいた感じ、そして帰ってから蒟蒻をいただいた。

近年、最高の咲きっぷり!

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十二本木山、戸倉山、少年自然の家 周辺

十二本木山 戸倉山、少年自然の家 周辺 07-Apr.3

十二本木山 空港保安施設

岡山空港そばの少年自然の家はよく整備され軽い山歩きには適している。園内は網目のように道があり地図があれば尚よしである。園内の見晴らし台をすぎると一般道にとびだし、しばらくで牛の口という名の分かれ道、ここを看板にしたがい十二本木山へむかう。しばらくで十二本宮に到着だが、ここは荒れ放題で残念な光景だ。

牛の口に戻り東におりてゆくと牧場がみえてくる。十二本宮には牛神様が祀られていることから昔からの牛どころのようである。右に高い鉄塔のある戸倉山が見えてくる、舗装道路をのぼりきると空港保安施設(右写真)のタワーのあるところで行き止まりである。

少年自然の家 周辺

Lunchの後、もとの道路はすこしつまんないので作業用とおぼしき踏み後をたよりにやぶこぎ下山を試みた。途中、離発着のためなのだろうか山を削り取っただけの広大な広場に到着、その先はもっとはげしくなってゆきやっとの思いで林道に飛び出した。そして結局ほとんどもとに戻ってしまった、小冒険であった。

少年自然の家の園内にもどると源流コースといわれる沢に下りるコースをとった。ゆったりと整備された道をしばらく歩き駐車場に到着。本日の全行程4時間でよい運動になりました。

少年自然の家園内源流コース

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鬼ノ城 温羅伝説の地を行く

鬼ノ城 温羅伝説の地を行く 07-Mar.23

鬼ノ城 吉備の平野を望む

百済の王子 温羅の居城との伝説が残る鬼ノ城、説明板には7世紀築城の朝鮮式山城で発掘品もその頃のものしか発見されていないとされる。つまり白村江の戦いで大敗した天智天皇の日本防衛のために築かれたものだ。

しかし、しかしだそんなことは信じられないというのが素人の強みである。なにしろ伝説も学術的定説も並列で語るのだから。左の写真は東門の下の岩場から吉備の平野を一望するの図だが、吉備津神社、楯築遺跡、造山古墳、備中国分寺など主要史跡すべてを見渡せる、まさしく空中要塞都市である。

吉備の平野を望む

吉備津神社の鳴る釜神事の御釜殿の下には温羅の首が埋まっていて唸り続けたのだ!梁塵秘抄に伝わる「一品聖霊吉備津宮、新宮、本宮、内の宮、隼人崎、北や南の神客人、うしとらみさきは恐ろしや」である。

つまり吉備最大最重要の吉備津神社には温羅がその魂を鎮めるために祀られている、本来「吉備津彦」が祀られているというより怨霊信仰の観点から温羅がその中心であると考えるのが自然というものだ。その温羅の居城であればそれより古いに決まっているわけだ。リフォームして天智が使ったということだと合点がゆく、ふむふむ。写真は再現された鬼ノ城西門であるが「風雲たけし城みたい」と思うのはわたしだけ?

再現 鬼ノ城西門

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