福山といっても総社です 07-July 17
昨日は雨でさんざんだった、そして今日も北の天気があやしいので南の福山を目指したというわけだ。福山は南北朝初期の延元元年(1336)5月、この備中福山城をめぐって南朝方の新田義貞の武将である大井田氏経(おおいだ・うじつね)の軍勢と、北朝方の足利尊氏の弟、直義(ただよし)の軍が三日三晩にわたって死闘を繰り返した山である。安養寺から清音にぬける途中、浅原峠から登りはじめると20分あまりで頂上についてしまった。先客が何人もいて休憩所はもういっぱいである。
年輩の先客のひとりがすごいものがあるというのでついていくとそこには宇垣一成の顕彰碑があった。宇垣一成は岡山の偉人の一人で我が家の田舎の大内の出身である。評価の分かれる人物ではあるが朝鮮府総督としてまた、万年首相候補として有名だ。
しかし福山は、なんといっても多くの古墳群に囲まれた神奈備山である。すぐ北には宮山古墳のある三輪山がある。宮山古墳は最古の前方後円墳の可能性が指摘される貴重なもので、宮山型といわれる特殊器台で有名だ。それになんといっても「三輪山」である、特殊器台がその後、忽然として奈良大和の箸墓古墳などに引き継がれるわけだが、そうすると「三輪山」もどちらがもとなのだろうか?大和の山の辺の道付近とこの総社付近ではいくつも共通する地名を発見することができる。「三輪山」「龍王山」「中山」「石上(吉井町)」などである
福山遊歩道