病み上がりで足摺岬は春うらら 07-Feb 10
今年の職場旅行は’しまなみ海道’経由で2年ぶりの足摺岬への旅である。じつは、正月から風邪をひいたうえに体調が崩れたせいかひさしぶりに腎臓結石がでて寝込んだ。痛みは2~3日でとれ石も飛び出したが風邪はなおらない、3週間熱がさがらない、4週目また結石がでた。ついに6kg痩せてしまった。2月にはいりやっと外に出たが思うように歩けない、気分転換に登った操山も息がきれ、足がすすまず倍ほど時間がかかる。こんな生まれて初めての経験のあとの旅行であった。
今回は愛媛廻りと決め朝7時すぎに岡山を出発、まず大三島の大山祇神社(伊予一宮)に立ち寄り旅の安全を祈った後、一路『内子』へと向かった。松山をすぎてしばらくで内子の八日市・護国(町並み保存地区)に到着した、時刻は11時40分で予定より押しぎみである。内子町は、江戸後期から明治時代にかけて、和紙と木蝋で栄えた町で壁など丁寧に復元した町並みが約600mほど続く。写真は豪邸にあしらわれた鶴のこて絵という装飾。食事処「下芳我邸」で蕎麦を頂き、お土産に和ろうそくなどを買って2時半、本来の目的地『足摺岬』と出発。
宇和島からはずっと地道を走り宿毛、中村、土佐清水を経由して6時半にやっと本日のお宿『ペンションさらい』に到着、あたりはすっかり暗くなってしまった。部屋で一服してすぐ夕食がはじまった。「さらい」のご主人が近くの窪津漁港でその日に買い付けたさかな三昧の食卓である。凝った料理こそないが、”これでもか!”と新鮮さで押してくる感じで、もちろんカツオのたたきは最高である。また部屋をはじめ館全体が清潔に保たれて心地よく、なかでもお風呂が広くて気持ちいい!写真は朝食、宿で食べる朝食はなぜかおいしいね。快晴の朝9時に犬のラブに見送られ出発した。
まずは、足摺灯台へ!車で5分、駐車場はもう満杯だった。椿のトンネルを抜けると灯台に到着、前日のお祈りが効いたにちがいない晴天でまあるい水平線が醍醐味だ、瀬戸内育ちには感激の景色。灯台そのものは白くシンプルなものだが、そこからの圧倒的眺めは土佐人が海外に目をむけ羽ばたこうとするのも宜成るかなである。そして足摺の代表的人物といえば『ジョン万次郎』だ。14歳で漂流、アメリカの捕鯨船に救われ(当時、アメリカは大捕鯨国しかも油が目的)のちに日本の国際化に大きく貢献することになる。その資料館であるジョン万ハウスは土佐清水の海の駅に移動していた。(参照 HP土佐清水市ジョン万次郎の生涯)
また、あまり知られてはいないがここ足摺には「唐人駄馬」とよばれる古代巨石群遺跡のあと?がある。縄文のころ黒潮に乗って辿り着いた異民族が築いた宗教的施設だといわれているが、なんと1977年に県によってつぶされ公園化されたのだ!むかしの写真をみると広大な平場に巨石がならぶ異様な景色で、間違いなく日本最大級の列石群だろう。いまは周囲の山に巨石(ストーンサークル)が残るだけだ、残念にもほどがある。
唐人駄場から海を望む
私の知る土建屋さんも「工事中にマンモスの骨が出てきてあわてて埋めた」と過去の貴重で涙のでるようなエピソードを語ってくれたが、文化財行政についてもっとみんなで考えたいと思う。(参照 HP足摺巨石群 唐人駄場と周辺の遺跡)
さてその他、金剛福寺(四国遍路の重要ポイント)や白山洞門などを観光の後、一路高知市へ向かった。県庁のそばにある「ひろめ市場」でなぜかカレーを食べて今回旅行のイベントは終了した。(参照 HPひろめ市場)
病み上がりを考えて早め早めの行動だったため「夕焼け空のなかをゆく瀬戸大橋」という雄大な景色というおまけも楽しみ無事岡山到着、まだ午後の7時すぎであった。四万十ののりの佃煮でお茶漬けをいただいた、おつかれさまでした!。