鬼ノ城 温羅伝説の地を行く 07-Mar.23
百済の王子 温羅の居城との伝説が残る鬼ノ城、説明板には7世紀築城の朝鮮式山城で発掘品もその頃のものしか発見されていないとされる。つまり白村江の戦いで大敗した天智天皇の日本防衛のために築かれたものだ。
しかし、しかしだそんなことは信じられないというのが素人の強みである。なにしろ伝説も学術的定説も並列で語るのだから。左の写真は東門の下の岩場から吉備の平野を一望するの図だが、吉備津神社、楯築遺跡、造山古墳、備中国分寺など主要史跡すべてを見渡せる、まさしく空中要塞都市である。
吉備津神社の鳴る釜神事の御釜殿の下には温羅の首が埋まっていて唸り続けたのだ!梁塵秘抄に伝わる「一品聖霊吉備津宮、新宮、本宮、内の宮、隼人崎、北や南の神客人、うしとらみさきは恐ろしや」である。
つまり吉備最大最重要の吉備津神社には温羅がその魂を鎮めるために祀られている、本来「吉備津彦」が祀られているというより怨霊信仰の観点から温羅がその中心であると考えるのが自然というものだ。その温羅の居城であればそれより古いに決まっているわけだ。リフォームして天智が使ったということだと合点がゆく、ふむふむ。写真は再現された鬼ノ城西門であるが「風雲たけし城みたい」と思うのはわたしだけ?
再現 鬼ノ城西門