日本書記 は中国製?で三角縁神獣鏡は日本製? 08-Feb.18
おもしろい邪馬台国サイトを見つけた。ひとつは安本美典氏を主宰とする「邪馬台国の会」のHPでとてもしっかりとした内容と体裁を持つページであり、「九州説」を唱えている。いまひとつは「歴史言語学と日本語の起源」でどちらも京都産業大学の森博達教授(日中語文交渉史の研究)の説を紹介したもので、語学からのアプローチだ。
まずは三角縁神獣鏡(景初三年鏡)の銘文についての考察だが、このページを読むとわかるが、卑弥呼を親魏倭王に任命した景初三年は、詩文隆盛の時代でこの韻律のでたらめさは中国のオリジナルとは考えられないということだ。 ではどう考えたらよいのか、出土したのがたとえば倭国(邪馬台国)系の古墳とすればこんな「なんちゃって銅鏡」のようなものにどんな意味があるというのだろうか。それでは中国系古墳とすればこれもすっきりしない。なんだか悩みが増えた感じである。
つぎの 日本書記 の中国人 執筆説もすごく説得力のあるはなしで書記十四巻以降(くわしくは参照ページをみてね)は文法ミスがない、ゆえに中国人であるというところがおおいに惹かれる。それはその十四巻が雄略天皇の項だからだ。それゆえ雄略紀の前後に古代史の画期があったと推測されている。そもそも日本の歴史を記すのになぜ中国人なのか、なぜ前半と後半で執筆者がちがうのか?謎は広大な迷路のようにまた深くなっていた。
「九州説」も「畿内説」も互いを攻撃するときの理由にうなずけるものが多くどちらでもないというのが正直な印象だ。まず畿内には弥生後期の遺跡が乏しいといわれるし、魏志倭人伝にある植生が当時の奈良盆地では無理があるという。ひるがえって「九州説」では邪馬台国は「一大率」という役所を伊都国に設置して諸国を監視したとあるが、もし邪馬台国が北部九州にあるならば、こんな近くの他国に出先機関を置くことなどせずに、自ら監視するはずだ。それに魏志倭人伝の里程で九州内に収まるにはいかにも無理がある。どちらにしても九州or畿内以外にまったく頭がいかないということ自体が柔軟性を欠いているように思う。