幻の書「 神代遺蹟考 」ついに入手

幻の書「 神代遺蹟考 高天原は日留山高原だった」佐竹淳如遺稿 ついに入手 07-Nov.15

神代遺蹟考

吉備邪馬台国説ないし高天原蒜山説を唱える方は私の知る範囲で主に以下の方々がいらっしゃる。フランス在住ジャーナリスト広畠輝治氏、大阪の歴史研究家兼社長の田村誠一氏、Web上に3個(?)のサイトをもつVetty(大橋蛍火)氏(新しい日本の歴史
、楽しい人生
、新しい日本の歴史)、静岡県掛川市在住のお医者さん若井正一氏(全国歴史研究会本部会員)、郷土史研究家 薬師寺慎一氏、しかしそれぞれの方にさきがけること80年前にこの源流に踏み込んだのは元勝山中学英語教師の佐竹淳如(しんにょ)先生である。

京都のお寺に生まれた佐竹先生は大正15年(昭和元年)に英語教師&教頭として岡山県立勝山中学校(現勝山高校)に赴任、約1年間の研究にて某大新聞社に本原稿を発表する予定もなぜか急遽中止、そして京城の中学へ左遷(降格)となる、つまり発表の場は奪われたということだ。当時、国により皇国史観、神武東征、高天原は天上の世界を真実とされていた時代だから、異論を唱える者はこんなひどい目にあったのだろうか?それにしても高天原蒜山説が見当違いなのであれば無視すればよいような気もするが、そんな甘い時代ではなかった!それが、東京山中会(東京で活躍中の真庭郡出身の皆さんの会)の尽力により出版されたという貴重な本なのだ。

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