周匝 (すさい)とは! 須佐之男命の居場所? 07-Apr.24
赤坂(現在の赤磐市)には石上布都御魂神社のほかにも須佐之男命を連想させるポイントがある、「周匝」だ。岡山美作線(県道27号岡山吉井線)を北上し吉井川にぶつかるとそこが周匝である、しばらく行くと「つちのこの里?」「是里リゾート」などの看板の交差点を左折(西へ)し1.4kmほどの黒本を右折し宗形神社を目指す。もちろん福岡の三女神を祀る宗像神社と深い縁を持つ延喜式内社の古社である。田舎道をじょじょに登って行くと、こんもりとした鎮守の森が見えてくる。車を道端に停めて参道を上るといつものように静かな境内だ、誰かが掃除されてるのだろう頭が下がる。
さて参拝をすませ再び田舎道を進んでゆく、だんだん道も細くなり心細くなるが2kmほどで本日のメイン「血洗いの滝」の駐車場に到着。水の音を聞きながら川に下りてゆくとそこが「滝神社」(岡山県神社庁には登録なし)である。昼間でも薄暗く、しばらく手の入っていない鳥居、朽ちかけた拝殿、その奥に小さな社、昔整備されたのであろう道を奥へと進んでゆくと、「血洗いの滝」を目の前にする事ができる。『血洗い』とは素盞嗚尊が八岐大蛇を討ったあと、『布都御魂』こと『十握劒』をこの滝で洗ったという伝説に由来する。
多くの方が「出雲の伝説」がなぜここ「吉備の赤坂」にという疑問の湧くところであるが、そこがこの話のポイントだと思う。小生の愚説ではあるが、弥生墳丘墓とその祭器をみていると「出雲と吉備」は強く深い連帯関係にあり、後に大和勢力と合従連衡ないし拡大していくなか、それぞれの神がそれぞれ小競り合いを経て一つの伝説にまとめられたのだと考える。つまり「八岐大蛇伝説」は吉備の神話ではないのか!故にそれに由来する箇所が多数存在するではないだろうか。
この滝をあとにして峠を越えると「本山寺」である。「役の小角」の開祖ということだから相当古い修験道の寺でありそのそばに金比羅山があり、さらに同時に祀られたとされる「波田神社」がすぐ近くにある。「本山、金比羅、波田(秦)」という意味深な名が並ぶ。近くにはかの法然上人の誕生寺があるのだが、法然上人の両親(父は久米押領使【おうりょうし:この地方の監督】漆間時国【うるまときくに】、母は秦氏【はたうじ】という。)が信仰したのがこの「本山寺」とされる。しかもおふくろさんが「はたうじ」だなんてそんな名前あり?という感じだ。
「本山寺」の三重塔 リッパ!