仏ヶ山に再挑戦 蒜山 は古代湖だった

仏ヶ山に再挑戦、蒜山 は古代湖だった 08-Apr.15

仏ヶ山から鳥取を望む

仏ヶ山は 蒜山 高原の中和村と八束村の境にあって、丁度下蒜33山の東隣りの山である。先々週の火曜午後にトライしたのだが、そのときは雪が林道に所々に残っており1km手前から徒歩で登山口に向かっていると、山菜とりのご老人が雪の中で車を脱輪さ せて立ち往生している現場(峠)に出くわした。結局、この救助作業でこの日は終了して、いつもの「豆腐」を買って帰るという一日だった。

さて本日だが、23度を越える快晴で雪もすっかり消えていた。峠に車を止めてさっそく登山開始、登りはいささか急でしばしば足がとまった(運動不足?)が、距離は短く約25分程度で少々のやぶこぎの末、三角点に到着した。

この写真は北に開けた倉吉方面(日本海)を望む景色である。田村氏の説によればこの方角に天孫降臨の高千穂(鳥取県東伯郡北栄町岩坪付近)がある、地図でみると字名としてはのこっているが住所としてはない様子だ。現在の北栄町は旧北条町と旧大栄町の合併によるもので、どんどん地名が減っていくのがなんとも悲しい。10分ほど頂上で過ごし、慎重に下山した、30分で登山口に到着した。

時刻はもう5時になっていた、東集落から蒜山三座山麓のドライブウェイに入り心地よい風を楽しみながら走ってゆく。すると、いつもは何気なく通り過ぎていた石切場のような大きな穴が気になり入ってみた。これが蒜山の珪藻土の採掘場であった。

約100万年前頃、火山の活動により蒜山三座が誕生した。それまでの川の流れは西に方向を変え、上蒜山の西側より日本海側へ流れ込むようになった。更に約35万年前、大山の噴火によって西側がせき止められ、「蒜山原湖」が誕生したのだそうだ。昭和科学工業採掘場
南を中国山地、北を蒜山三座に囲まれた 蒜山 原湖には珪藻(けいそう)が繁茂した。珪藻は珪酸質の殻を持つため、湖底に堆積していく。珪藻が生息していたのは5万年間と推定され、珪藻土の最も厚いところは約100mに達すると言われている。
その後も大山の噴火活動は続き、現在の真庭市蒜山地区西部あたりは噴出物で埋まっていき逆に湖の東部は旭川水系の浸食を受け、湖水は南へと流出し始めた。やがて湖は干上がって消滅したが、珪藻は化石となって残った。蒜山高原の誕生の歴史である。

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