富士登山

『富士須走口より 富士登山 』 06-Aug.15

富士登山 富士浅間神社

8月15日は富士登山の交通規制もおわり朝4時に三島の実家を出発。三島市内から御殿場へと走った。もうUターンラッシュを避けようと多くの車が走っている。意外と時間もかかり夜も白々と明けてきた。コンビニで食料を調達して須走に向かう。富士浅間神社【祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)】に早速お参りをした。大己貴命とは大国主命の別名だが、昨日訪ねた三嶋大社も大己貴命(大国主命)を祭神としており吉備周辺との深い繋がりが感じさせる。

『富士浅間神社に参拝ののち須走口へ』

富士須走口

富士浅間神社から十数キロ富士に向かって走ると標高2000mの須走口新5合目に到着する。駐車場はすでに満車らしく前日に登ったと思われる車が道路脇に多数停まっていた。すでに6時になろうとしていた。売店や休憩所のスタッフがにぎやかに声をかけてくる。我々はこんなにぎやかな登山は経験がなかったのでそそくさとその前を通り過ぎ脇のベンチに陣取り朝食をとった。いよいよ出発、ゆるやかな登りの林を進んでいった。

『須走新六合目にて』

新六合目長田山荘

登山口から1時間半ほどかかっただろうか、新六合目の山小屋長田山荘に着いた。ここは標高2400mで富士宮口の新5合目と同じらしい。15分ほど休んで再び登りはじめる。だんだんと草木がなくなって岩場砂場とかわってゆく。ふと左手を見ると下山道(登りと下りの道が別々にある)を多くの人が駆け降りてゆく。大袈裟でなく走っている人がいる。これが砂走りか!御殿場口ルートの大砂走りが有名だがここはその6割くらいの距離のようだ。同じようなペースで登る人たちと少し会話をしながら歩を進める。7合目、新7合目とすぎ写真をとる余裕がなくなってきた。

本八合目

本八合目に到着だが、雨が激しくふりだした。台風10号の影響のようだ!本格的な雨用装備のないわれわれは疲れも手伝ってここで断念。時刻は11時30分、すでに5時間半が経過していた。

雨の中を下りはじめるが、そこはもう砂走りである。溶岩が多くの登山者によって踏み砕かれてきたのだろう。その色はチャコールで石というには細かく、砂と呼ぶには粗い。家内はその体重の軽さのせいだろうか、とんとんと駆けるようにおりてゆく。わたしはみるみる置いてゆかれた。わたしの足は一歩ごとに深くその溶岩砂のなかに埋まり滑ってゆく。すこし急いだだけで転倒しそうでゆっくりとしか歩けない。

『砂走りを背に一休憩』

富士砂走り

すこし要領を得た。つま先を立てて砂に足をいれてゆく、すると適度な距離(30?40cm)で体が止まる。スピードもある程度でてしばらく先でまっていた家内においついた。この行程が1時間半つづいた。両足にかかる負担は私の限界をすでに超えていた。

富士須走登山口

 同じようにくたびれはてていた男3人がいた。その一人が携帯で誰かと話ながら他の二人に伝えた『「登りより下りのほうがきついからがんばって」だって』「それを先にいえっつーの!」おもわず心のなかで吹き出した。

やっとの思いで登山口にたどりついた。しばらく待つと迎えに息子とおばあちゃんが来てくれた。送り迎えともにありがとう。いい思い出になった。そして次回は是非とも頂上をめざす。

『須走口新五合目登山口にて』

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神宮寺 (若狭) お水送り

神宮寺の お水送り

お水送り 神宮寺本堂

原発銀座に泊まった。ここ若狭湾に沿った町はほとんど関電の企業城下町だ。そのひとつの高浜に民宿をとっておいしい魚をいただいた。翌日、宿のご主人に尋ねたところ一ノ宮神社はよくわからないがなんといっても有名なのが神宮寺でそのそばに一ノ宮もあるらしい。感をつけてその方向に走りはじめた。そしてしばらくして発見した。若狭国一宮は若狭彦神社だが、実際に現地にて確認すると二宮の若狭姫神社と神宮寺の三社が順番に並んでいるのがよくわかる。
そこで偶然居合わせた、神宮寺の住職に訪ねたところ「神宮寺が元々の奥の宮である」とのことであった。
奈良東大寺二月堂の「お水取り」とはここ神宮寺にておこなわれる「お水送り」を受け取る儀式なのだ。

神宮寺本堂

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神郷 三国山

神郷 三国山 はみくにせんと読みます。

三国山 shingo_mikuni_5

神郷町というところは岡山県のなかでもっとも距離感を感じる処だと思う。つまり一番遠い!新見を過ぎてすこし迷いながらも案内本をたよりに進んだ。三室川ダムを左に見てしばらくいくと集落にはいり目標のバス停を発見。林道に入ってしばらくで駐車スペースをみつけて停まり歩きはじめる。15分ほどで登山口にたどりついたがおよそ3時間ほどかかったかな。三国山はみくにせんと読む、地元のひとに道を訪ねて聴いたのでそう皆に呼ばれていることは間違いない。三国とはもちろん頂上から見渡せるというか接している「備中、備後、伯耆」の三国のことだ。


三国山 登山口

1時間ほどで頂上に着いた。この頂上はさほど開けてはいないが景色を楽しむには十分。途中のコンビニで調達した昼食をとり下山した。登山口の石標にて写真をとる。これはスタンドではなく合成ですのであしからず。車まで林道を歩いていると地元の方と出会いすこしお話をし、その年配の夫婦が採りにきていた「滝みずな」を頂戴した。帰宅して教わったように調理して食すと十分な量でおかずとなり、山の香りを楽しめた。

神郷三国山 登山口にて

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岡山県立博物館 吉備 特殊器台

これが 吉備 特殊器台 だ!

吉備 邪馬台国説の最初にまずこの 吉備 特殊器台 (画像を見る場合はClick)を紹介しようと岡山県立博物館にいってまいりました

でかい!

特殊器台に観られる弧帯紋という独特の文様は、吉備国際大学の臼井洋輔教授によれば台湾などの南方の土器に同様のものがみられるとのことだ!海人族の文化ということだろうか。そしてこの弧帯紋は楯築遺跡の御神体亀石にもくっきりと残されている

この吉備特殊器台は弥生時代の墳丘のうえから発見され、葬祭における祭祀のための道具である。その発生から発展において吉備独特のものなのだそうだが、総社の宮山古墳のうえから発見されたのを最後に姿を消し、奈良桜井の箸墓古墳などに忽然と現れるのだ。この箸墓古墳から北に5kmほどのところにある石上神宮も同様で備前一宮の石上布都之魂神社から御神体の十拳剣が移されている。

特殊器台 isojingu_8

これらの事柄は当時の吉備と大和の間に劇的なできごとがあったことを如実に表している。はたして邪馬台国は吉備にあったのか?過去の論争において一度も(たぶん)顔をみせなかったこの説を追って、気になる神社や遺跡などを調べていきたいと思う。

Copyright 岡山県立博物館

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泉山( 奥津 )06年7月4日

奥津 大神宮原コースはなかなかきついのです!まいった

奥津 泉山

53号線から院庄へ入りそのまま奥津温泉へ向かう。温泉から奥津カントリーに向かいゴルフ場をすぎてしばらくすると右側に登山口の標識がある。
登山道はすこし荒れている感じ。特に台風のために倒木が多く、しかも急登が続く。中央峰の手前はロープをたよりに登るとやっと到着した。

2時間ちかくかかってしまった。

食事をすませて、泉山頂上に向かう。ここはたいした高低差はなくなんということはない。しばらく景色を楽しんだ後、笠菅峠へ向けて下山を開始した。この道はよく整備されていてあっという間に登山口についた。ここから大神宮原コース登山口まで4kmほどあるだろうかこの舗装道路のほうがきつかったりして?!

頂上到着(中央峰)

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