思い立ったが吉日! 「 韓竃神社 」へ爆走

出雲「 韓竃 (からかま)神社」は今人気の秘境スポット 2010 Dec.14

韓竃神社
昨夜の天気予報をみて急遽「出雲」を訪ねる気になった。岡山を10時に出て約200kmの行程だが昨今の高速料金割引のおかげで気軽に動ける。12時半、昼飯に松江にたちより観光名店「八雲庵」にて「かもなんばん」をいただいた、味もしっかり、駐車場、庭付きのよい店である。ここから宍道湖の北岸を一路「横縦断」して「十六島(ウップルイ)」方面へ向かう。まずは「十六島(ウップルイ)」変わった名である、アイヌ語?朝鮮語?など諸説あるようだがはっきりとしない、そこがとてもよい。

韓竃神社 十六島湾が現れる

今日の島根半島は天候不安定で晴れたり雨が降ったりそして風で海には大きな波がたっていた。垂水神社から川沿いを南上するが、この川名が「唐川川」である。なんだそりゃって感じだがそのとおりだから仕方ない。鰐淵小学校を唐川方面へゆくと細い道が次第に高度を上げてゆくが「 韓竃神社 」へのサイン看板が的確にあるので迷わず駐車場に到着した。

韓竃神社
ここから徒歩800mとなっている、林道入口に設置された案内パンフをもらい歩き始める。さっきまで激しく降っていた雨がやみ少し明るくなってきた、てっきり「晴れ」と思っていたので雨具(レインスーツ)もなく、ききしにまさる難所と聞いているので傘も持って行けない。林道は山からの雨を集めておおきな音をたてながら激しく流れる沢に沿って登っている、500mほどで写真の参道入口の鳥居に到着した。

ここから急登がつづくが細いながらもよく整備された石段ばかりなので、濡れていながらも安心して登れた。参道口から高度差で200mくらいだろうか、ついに各メディアで紹介されているこの岩戸が現れた。まあ、100kgくらいの人までだったら楽に通れるとは思うが「岩に体を擦りながら通る」ことは避けられないのできれいな服はやめたほうがよい。

この裂け目を抜けるといよいよ目の前に社が現れる、かなり急な場所にあるため、石組のその境内は極めて狭い、ぎりぎりまでさがってやっと写真に収まった。雨模様のウィークデイでありながら3人の方とであった、やはりかなりの人気である。

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案内文などの由緒によれば

鎮座地 出雲市唐川町字後野408番地
祭神 素盞嗚尊
例大祭 十一月三日
出雲国風土記(七三三年)には韓?社 延喜式神名帳(九二七年)には 韓竈神社 と記されている。江戸時代には、「智那尾権現(ちおごんげん)」と呼ばれていた。社名のカラカマは朝鮮から渡来した「釜」を意味するとされている。即ちこれは祭神の素蓋嗚命が御子神と共に新羅に渡られ我が国に「植林法」を伝えられると共に「鉄器文化」を開拓されたと伝えられていることと、関係があろう。又当社より奥部の北山山系が古くから産銅地帯といわれ金掘り地区の地名や自然銅、野タタラ跡、などが見られることと、鉄器文化の開拓と深い関係があるといわれている。「雲陽誌」(一七一七年)によると、当社は素蓋嗚命を祀るとして古老伝に「素蓋嗚命が乗り給いし船なりとて、二間四方ほどの平石あり、これを「岩船」という。この岩は本社の上へ西方より屋根の如くさしかざしたる故に雨露も当たらず世俗に「屋方石」という。又 岩船のつづきに周二丈余り高さ六間ほどの丸き立岩ありこれを「帆柱石」という。社への入口は横一尺五寸ばかり高さ八尺ほどの岩穴となっており奥の方まで二間ばかりありこれが社までの通路となっている」と記されている。

「唐川」という地名から素直に考えれば、朝鮮半島に出自を持つ人たちが住んでいたことに疑いはない。岡山市内にも「辛川」「辛香」などが見られるが皆、朝鮮系とか新羅系と考えられる。ここに「素盞嗚尊」が祀られているのは極自然であるが、「素盞嗚尊」信仰が最も色濃いのが吉備であることは留意しておきたい。青銅器の文化圏の中心である「出雲」に銅が出たことに何の違和感もないが、鉄器文化の開拓となれば「 韓竃神社 」は吉備と出雲が連合した時代の残滓といえるかもしれない。

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