田村誠一 氏 指摘の地名めぐりの旅

田村誠一 氏 指摘の地名めぐりの旅

田村誠一 ohkunimura_yamato大国村倭田村氏はその仕事の傍ら独自の斬新な古代史解釈に没頭し多くの著作を残した方である。「古事記は事実であった」という原点から、佐竹先生の「高天原蒜山高原説」を支持し、古事記に著された神話をこの蒜山(吉備ー美作)から伯耆、出雲にかけての歴史に基づいた伝承であるという説を唱えられている。特に地図を丹念に精査されることが大きな特徴で、今回その内の代表的な場所を実際に訪ねてみることにした。

米子道溝口ICを出てナビをたよりに南部町をめざし最初の目的地「倭」に到着した。鳥取県西伯郡南部町倭はかつて大国村倭という地名でここに大国主と須世理毘売命(スセリ姫のみこと)が住まいを構えたと古事記にかかれているとされる場所である。ちょっと複雑だが田村誠一氏の本を研究再現しておられる大橋螢火氏のHPがありますのでこちら(大国村倭に関するページ)を参照頂きたい。

「於宇迦能山【三字以音巳】之山本。於底津石根。宮柱布刀斯理【此四字以音】於高天原氷椽多迦斯理【此四字以音】而居。是奴也。」迦能山之山本は、迦能山の麓のことです。今は、ここに「山本」ではなく、「倭」という集落があります。字名は、「大国」です。ここに、底津石根。宮柱布刀斯理と書かれた宮殿を建てたことになります。

この倭でさっそく神社を探すと小高い山の中腹に加茂神社が見つかる、この山が宇迦能山ということだ。またすぐ近くに天満(手間)という字があり、同じ古事記の大国主のエピソードに登場する「手間の赤猪の岩」に由来すると思われる赤猪岩神社が存在する。大国主のエピソードにあわせて地名や神社名を後世につけたと考えるのはいかにも素直でない、この土地の伝承を稗田阿礼が取材暗誦したのだ。

田村誠一 日向浦

さて、次に向かったのはゲゲゲの鬼太郎でおなじみの境港である。境港から境水道大橋をわたり美保が関町にはいったすぐの小さな港が「日向浦」ここは真南を向いているのでまさしく日向だ。この地を神武天皇(神倭伊波礼琵古命)が奈良大和に向かう出発の地「日向」であると田村氏は比定している。ひいじいさんの邇邇芸命(ににぎ)が葦原の中つ国に降臨し大山津見神の娘の木花之佐久夜毘売と夫婦となるが、大山津見神の本拠地は瀬戸内海の大三島であり櫛稲田姫(スサノオの奥さん)のおじいさんであることとも合わせると、中つ国が現在の中国地方の語源と考られる。

そして、弥生時代からの古い歴史を今も色濃く残す隠岐の島と本州を結ぶのもこの境港であるが、奇しくも我々の目の前を大きな隠岐の島行きのフェリーが悠々と波を分けて進んでいった。

takachiho

さて、午後も深くなってきたので次に移動だ、せっかくなので「むきばんだ遺跡」を経由して東伯郡北栄町高千穂に向かった。(むきばんだについては別ログであらためて!)さて、この貴重な地名はすでに住所としては存在していないようでなかなかたどり着くのは難しいのだが、そのためではなく絶対に地名を安易に変えたりましてや無くしたりしてはいけないと思う。不思議なことというか有難いことにナビにこのちいさな部落の字名が載っていてなんとかたどり着いた。そこは、遠くに風力発電の風車が何機か見え、ひろびろとした畑が続く農村風景ですでにすこし薄暗く夕闇が迫っていた。

ここが邇邇芸命が高天原より天孫降臨した高千穂である。この地に立つと不思議な感覚に陥る、それは「ここは蒜山高原?」という感じがするのだ。takachiho2なぜなら、そのゆったりとした起伏、その背景にそびえる山々、畑にそだつ作物や芝そしてすこしひんやりとした空気が蒜山そっくりなのだ。つまり高天原天孫族が蒜山から降りてこの地を選んだ様子がありありと思い浮かぶのである。左の写真はこの高千穂より西南を望む大山の姿だが、ご存知のとおり大山は富士山のような円錐形ではなく頂上はぎざぎざでいくつものピークがある。つまり、大山こそが高千穂なのだ。

高千穂より大山を望む

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