古墳と弥生墳丘墓をつなぐ 宮山 古墳(墳丘墓)

宮山墳墓群

古墳と弥生墳丘墓をつなぐ 宮山 古墳(墳丘墓) 08-Feb.12

総社市三輪の 宮山 古墳(墳丘墓)はきわめてデリケートな存在である。最古式の前方後円墳といわれる箸墓古墳(奈良桜井)の頭頂部から発見された特殊器台はこの宮山古墳の名を持つ宮山型特殊器台である。器台から器台形埴輪へうつる最後の変節点で「古墳」なのか「弥生墳丘墓」なのか議論のわかれるところらしいが、形は前方部をもついわゆる前方後円墳(これだと古墳?)である。

ここの三輪山という地名も箸墓を見下ろす三輪山とどう関係するのか解明したいところだが希望的仮説にしかならない、しかしあえて加えるならこの三輪の地の高梁川をはさんで向こう側(やや北西)は正木山(古代祭祀遺跡のある)でその麓が「秦」で秦氏の本拠地である。ひるがえって奈良の三輪山の川をはさんだ西側には二上山がありその麓に秦氏の信仰対象である葛木倭文座天羽雷命神社(かつらぎしずりにいますあまはいかづちのみことじんじゃ)があるというのは興味をそそる。ちなみに総社三輪山山頂にある天望台、三笠山の両前方後円墳は正木山の方角を指して造営されている。

2 Replies to “古墳と弥生墳丘墓をつなぐ 宮山 古墳(墳丘墓)”

  1. 数日前、宮山墳丘墓、百射山神社行きました。百射山神社は元は南の福山にあったそうです。宮山の丘の東の水田の畔から見た福山が、の何度も見た桜井の三輪山に瓜二つで驚きました。福山の続きに少し低い山が連なっていてやはり、桜井の三輪の北にもある竜王山と同じ「竜王山」でした。桜井三輪山といわゆる「太陽の道」上に宮山があることも重要ですが、風景が酷似することはまた大きな意味があるのではと思います。

  2.  奈良の箸墓古墳は別名、大市墓とも呼ばれ、箸で陰を突いて亡くなった百襲姫(モモソヒメ)の墓であるとされます。三輪地名や、百射山神社の背後の、宮山墳丘墓から箸墓出土と同じ宮山型の器台が出土している事実から、百射は「モモイ」でなく、本来「モモソ」ではと思えてなりません。また、福山に徐福=徐市(じょふつ)伝承があり、そもそも福山の「福」が徐福の「福」や「市」だとすると、奈良の箸墓を「大市(ふつ)」と呼ぶことも総社の三輪と、奈良の三輪の深い関係を物語る事ではないかと思います。秦氏のことも始皇帝と徐福につながるのではないでしょうか。

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